2011年11月24日

ダウントン・アビー その後





じゅんじゅんです


ダウントン・アビー 来週最終回ですね 第1シーズンの

本国では第2シーズンが始まっているそうです

1シリーズ7話とは随分短いですね

しかも 最終回でどんでん返しならぬ 伯爵夫婦に思わぬ幸運が だそう

ははあ お金持ちは別々の寝室 という常識を打ち破って 同じベッドに

しかもかなり狭い くつろぐ二人を 毎回映していましたね

さて 生まれるのは男の子か? と言うところで終わったりしないでしょうね

どうでしょうか

第2シリーズは 日本では いつ 放送されるのでしょうか

次女のイーディスはあのまま 近隣の初老のお金持ちと結婚してしまうん

でしょうか 姉の行状を暴露した手紙を彼女が書いたこと あのまま家族に

知られずに終わるんでしょうか

爵位とダウントン・アビーの所有権は このまますんなりマシューのもの?

メアリーはあの事故を告白してしまうんでしょうか

そして コックの白内障と 第一話で出てきた 砂糖と間違えてしまいそう

な 有毒な磨き粉は?

あれをみて 思ったんですよ シーツ交換から ディナーの支度まで 一切

使用人任せで 家事とは無縁 いい御身分と言う感じですが ある意味

使用人に命を預けているんですね

だから メイドや従僕 コックや庭師だけでなく 監督官としての

家政婦や執事が 必要なのですね

第6話では ディナー終了後にやってきたマシューに サンドイッチを

メアリーが用意させます

パンがずいぶん分厚いサンドイッチでした そしてイチゴと 赤ワインで

しょうか

そう 朝食はセルフ・サービスだし ディナーは時間厳守だし 結構

ひとに仕えられるって しんどいですね

ゴスフォード・パークでは 未婚の娘はベッドで朝食を食べてはいけない

と言っていました あれはマダムの特権なんですね

ダウントン・アビーの女主人になるのは3姉妹のうちの誰かか?

それとも後継者は新しく誕生するのか

メアリーの部屋に かのひとを手引きしたトーマスは そのことで何かを

たくらむのか

今のところ 手引きしたことがばれてくびになることを恐れて何も言わない

けれど

しかし マギー・スミスとエリザベス・マクガバンの嫁姑コンビが取り決めた

メアリーは秋までにマシューと結婚 でなければローマへ

というのは 「思わぬ幸運」で どうなるのでしょうか

私も執事と同じで 今ではメアリーが贔屓です

彼女がダウントン・アビーの女主人に収まるのが一番いいと思う

しかしどうでしょう

第2シーズンでも終わりそうにないでしょう?

第6話では 邪悪なトーマスに首ったけだった 下働きの少女が

純真な第二下僕の 母子の信頼関係に目を開かれて 精神的に少し

成長する様子も描かれていました

しかしその母親は 長くないらしい。。。

第六シーズンまで 話を引っ張ったりしないでほしいが 題名は

ダウントン・アビー

次の当主の時代の話になっても シリーズは続けられる・・・

第二下僕がやがて執事になってたりして

このドラマをみて あたりまえだが 使用人という職業 も 確立された

文化だったのだと あらためて思った

日本は明治維新とともに武家政権だけでなく 使用人という職業も

瓦解させてしまった

いや まだ第二次世界大戦前までは 家令も使用人もいたのだ

華族だけでなく 家 というものも アメリカは壊してしまったのだ

いや 家や戸主制度の窮屈さに辟易していた日本人はもろ手を挙げて

賛同してしまったのだ 物事には何事も メリットとデメリットがあり

一度なくしてしまったものは 復活させようとしても出来ないのだという

ことを 深く考えることもなしに

ファミリーという概念 ホームという概念は それはそれで素晴らしいもの

ではあるが 家門の栄光 や OO家の伝統 といったものは 自由と

平等だけでは成立して行かないものではないだろうか

今の社会には 貴族と使用人はいないが 資本家と労働者 

企業と消費者 はいる

ディナータイムに縛られる貴族のように 我々は 企業の戦略に

その利益追求路線に 縛られて生きているように思われる

くびを恐れる使用人たちのように 狭い世界での自由しか許されておらず

一日と言う時間を 自分のために使うことをほとんど許されず 生きている

様な気がする

メアリーだけでなく 屋敷と領地の管理に忙しい伯爵も 爵位はともかく

財産を守ろうと結託した嫁姑も 屋敷と一家のために働く使用人も

みなダウントン・アビーの 奴隷のようなもの

屋敷がたとえば戦争で焼けるとかして 崩れてしまえば

あるいは法制度が変わって土地を切り売りしなければならなくなったら

彼らは皆 ダウントン・アビーから解放されるのであろう

しかし それを開放と感じられる者と 追放されたようにしか感じられない

者とに分かれるであろう

しかし希望は 屋敷の存続にばかりあるのではないと 現代に生きる

われわれは知っている

そうではあるが タイトルバックに流れる 主人に寄り添って庭を歩く

大型犬を見ていると やはり ダウントン・アビーよ永遠なれと思って

しまう私がいるのだ













Posted by massan&junjun at 01:32│Comments(2)
この記事へのコメント
とても面白く拝見いたしました。

ただ現代社会にも貴族はいるのでは無いのでしょうか?英国にはいまだに世襲貴族が数多くいますし、わが国でも御公家さまや大名家の方々は明らかに我々一般人とは違う世界に暮らしているように思います。
Posted by サテライト at 2014年06月16日 19:24
ダウントン・アビーで面白いのは、貴族の最後の砦のように振る舞う長女
メアリーでさえ、母親がすでにアメリカ人だということです。

父方は貴族だが、母方はブルジョア、すでに純血種の貴族ではない、
ということです。

なぜそのようになったのか。
先代が時代の流れにさからって、領地も館も旧来の生活も守るために、
持参金つきの嫁をむかえたからです。

やがて世襲貴族たちは領地をナショナルトラスト化し館を一般公開するなど
して生き延びます。もちろん売り払って、使用人も解雇して、身軽になった
ものもいたでしょう。

世襲貴族制度が消滅した国ではどうしたか。多くは持参金つき配偶者に
頼るよりも、自ら働き出したのです。
フランスのファッション界のプレスには、社交界の人脈を見込まれて
広告分野に進出する元貴族家系の女性が多くいました。
働くことで、世界中を自腹でなく旅をします。

貴族たちが招き招かれていた社交生活が、そのまま企業同士の宣伝活動に
なって行ったということです。元貴族でなくても招かれるには、消滅した爵位以外に顔が売れることが必要で、それがセレヴと称される人々です。

セレヴと元貴族や元華族は閨閥で複雑に結びついています。

お見合い制度が崩れて、自由恋愛の時代がありましたが、少子高齢化で
家の結びつきは再び強くなりはじめています。また恋愛こそ住む世界の違い
がものをいうという事実があるのです。

それが いわゆる一般人にとっては 孫による祖父母の長期介護という
問題になり、あなたの言う違う世界の人々にとっては、一族の結束や閨閥
作りになるのです。

それでも 今や 週末って何? という感覚で生きている人はいません。
ダウントン・アビーでは時代遅れとしてえがかれるヴァイオレット様の感覚や
当主ロバートの 感覚 にくすっと笑いながら
失われた時を求めて このドラマを鑑賞しているのです。



 
Posted by massan&junjunmassan&junjun at 2014年07月03日 21:52
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