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2009年12月16日

 「思考の整理学」をまた読み始めました


じゅんじゅんです。



とある病院で、「待ち時間、あとどれくらいですか?」と聞くと、答えは

「ちょうど一時間ですね」

60まで60回数えるか。。。「待てよ。中に文庫本が突っ込んであったな、

このバッグ」何を入れてあったかとごそごそ。ありました!

O?か月遅れのベストセラーの読書。恥ずかしいところだが、こんなことも

あろうかと?カラー表紙をはずしておいたので、むきだしの文庫本、

いい感じだ。

これなら人前で読むのに恥ずかしくない。(いろいろ、めんどくさい奴だと

お思いでしょうが。。。)

カラー表紙は付けておく主義ですし、もう読まないなと思った本は、ブック

・オフに売ろうとクローゼットに積んである(年越しそう)

しかし何度も読んでる「森茉莉本」やこの本の場合、けして売らないし汚れ

ても捨てないので、読むのに無駄な装飾は取っ払っておいたのだ。

本屋では必ず「カバーおつけしますか?」と聞かれる。

売る時、汚れていると値が下がるので、すべてカバーをつけてもらう。

するとどうだろう?積んでるうちに、文庫本だか漫画本だか読んだか読んで

ないのか、解らなくなるではないか。

この年まで、気付いていないというのは、いかに、買ってきたらすぐ読んで、

カバーを取って本棚に並べていたか、ということである。

そう。若い時って、案外頭がいいもので、後で捨てたくなるような本って

余り買わない。懐の具合もあるので、自然に吟味しているのでもあろうか。

ところが専業主婦になり、外出日とそうでない日と、懐の温かい時とそうで

ない時、いろいろと違うので、いざ本屋に行って買おうという時、切りぬき

までして買おうと思っていた本の情報が手元にない。本の題名を覚えていて

本屋中を探して歩いていると、おもしろそうな本が次々目に着く。4~5冊

手にしたところで、だいたい金額オーバーである。

実家の母は、学用品ならなんでも上等のを買ってくれたし、学習雑誌も毎月

取ってくれたが、よく聞く、「本屋に行って、好きな本を好きなだけ、つけ

で買って読んだ」という体験はさせてくれなかった。

父はお金持ちでも学者でもない。「育児」にさえあまり関心のない昭和の父

親である。(そういう経験をさせてもらえたのは、石原慎太郎とか仁丹の社長

令嬢などである)

母が本屋に連れて行ってくれたのは、今思えば、ボーナスが出た後、という

時期だ。私は6月生まれなので、誕生祝いに本屋に行き、3冊まで、とか、

レコード屋に行き、好きなレコードを、とかいうように買ってもらっていた。

だから、本はハードカバー(だって文庫本ならお小遣いで買える)レコード

はLP派だ。

年に二回、本屋で5冊、レコード屋でLPを一枚。

あるときなど、母の機嫌が良かったのか、景気が良かったのか、デパートの

レコード売り場でジュリーのシングル3~4枚に野口五郎のLPを買って

もらった。今でも実家の、県立高校合格祝いのステレオのレコード入れに

鎮座していることであろう。

だから、選別眼はあるはずなのだが、年を取って頭がぼけたか、年に二回

でなく、月に2回もまとめ買いをするだけの選別眼は育たなかったか、どう

も、はずれが増えているのである。

「思考の整理学」が「積読」ならぬバックの底で眠っていたのは、けして、

内容が面白くなかったわけではない。

むしろ面白すぎ、「先へ読み進みたくない」という意識さえ出て、この一行

一行を大事に血肉にするのだ、という思いまで抱いた。

おおげさ?いや、こんな本は久々です。

初めは、「いかにも東大生が好みそうな文章だ」「頭のいい人の書いた文章に

してはあまり解り易くないな」と自分の頭の悪さ(というひとは、けして

自分の頭は悪くないと思っているのですよ)を棚に上げて、生意気にも批判

していたのであった。

ところが中盤まで読み進むと、内容が急に理解しやすくなった。

これはこの本の文法が頭に入ってきたからでもあろうか。精読してた甲斐が

あったなと嬉しく、106ページまで読んだところで、順番が回ってきました。

ファイルの仕方などの章を読んでは、「ああ私はこれほど几帳面じゃないし。

手書きじゃ手が痛い」と根を上げかけていたら、「つん読法」の話になり、

自慢じゃないがわたしゃこれだよ。

しかるに現在はご自慢の記憶力が衰えてきて「ショーペンハウエルを一晩で

平らげる」と言うほどの胆力はもともと無いが、部屋が机上が乱雑になる

ばかりで、「寝かせた」が最後「発酵」どころか、雪崩を起こすだけ、情け

ない次第である。

やっぱりこの本は、東大の教養課程、18~20くらいの年齢で読まなければ、

利用価値は半減するのだな、とも思う。

けれども「思考の整理」はだれにでも必要なものである。

物書きや学者でなくても。

「学」どころか、「思考の作法」さえ怪しい私だが、読んだだけもういちど、

脳みそが若くなり、元気になる気がする。脳の栄養になったのだろう。




  


Posted by massan&junjun at 08:56Comments(0)