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2014年05月22日

ZUZU SONGS FOR JULIE




じゅんじゅんです


ジュリーのスペルってこれであってるのかな

まあ通じるだろうからいいか

安井かずみがいた時代 が家庭画報で連載後 出版されたせいか

ZUZU唯一の歌ってるアルバムがCDで復刻したりしてるようだが

こちらもDVDで 出ております ZUZU Songs

安井かずみが3月17日に亡くなった同じ1994年の秋に

10回のコンサートをジュリーこと沢田研二が開いていて

ハイビジョンで放送されたのか? 私はそのころ祖母の介護で

忙しく ジュリーもZUZUも知ったこっちゃなかったらしいが

今更 DVDを買い込んで やっとみています


新曲二曲以外 全部 ZUZUの詞 です

追憶 がニーナ だからって ありがとう♪ジェニー と同じく

阿久悠 の詞だと勘違いしてる そこのあなた あなた

 あなたたち!


違うでしょ テイストが 全然!!

たとえば 阿久氏の詞ならば 誰かほかの歌手が 粋がって歌真似

したって ファンは許す

しか~し 追憶 を ジュリー以外の誰かが歌うなんて 今や

ZUZUの霊が許さないぞ

いや ZUZUは言うわね 大丈夫よ 誰も歌えやしないから


旅先でZUZUの死を知り 驚いたというジュリー

お見舞いにも 行ってないんじゃないかな

ZUZUは ジュリーに会いたくなかったかも 

その気持ちはわかる気がする

お葬式では 涙を流すことしかできなかったというジュリー

しかしそのうち ZUZUの歌だけで コンサートが開けるな

実際 それほどたくさんの歌があるし と思うのだ

発案が彼自身かスタッフなのかはわからないが

本人が よし歌おう と思わなければ コンサートは開かれない


若いころの歌は キイが高い 苦しいと言いながら

声もよく出ているし 何より 雰囲気が 昔の 私の好きだった

ジュリーに戻っている

そうか わたしもZUZUの詞の方が 好きなんだな


ジュリーのヒット曲って ザ・歌謡曲でありながら ポップであり

そこらへんのロッカーの曲より ずっとロックなんですけども

たとえば 危険な二人の イントロ とか

それはZUZUの功績ではなく 作曲家のものだろうと言われるかも

しれないが

おい どっちの味方なんだよ

もちろん こっち(ジュリー)よ

というコンビの作品だけに 相乗効果で素晴らしくなっているんだと

思う

勝手にしやがれの時は 審査委員長まで(レコ大)

そりゃあ ジュリーよ といっていたなあ 遠い目


普段のコンサートではZUZUの歌は2曲くらいしかうたってくれない

という ファンの証言もあるが

キイが高い 新曲を歌ってこその沢田研二だと言いながら

ZUZUの曲だけで コンサートを開いた ジュリー

次は阿久さんでできるかな? 大野さんて事はないよね

と憎まれ口をたたいていたが

それはやはり 一つの照れ隠し なんでしょうなあ

ヨーロッパで むこうのひとからZUZUと呼ばれていた安井かずみ

ジュリーはゲンジ と呼ばれたそうだ

もう20年も前ですよ といいながら

ジュリーの声は きらきらと瞳を輝かせる涙は

時の流れも 黄泉との隔たりも 一瞬にして 消滅させ

ZUZUとの邂逅を いつくしんでいるように 見えるのだ  


Posted by massan&junjun at 12:09Comments(0)

2014年05月17日

ピンク色の地球みたい!






じゅんじゅんです


ご無沙汰しています

先週 身内に不祝儀がありまして お通夜に出るという5歳の姪に

私には派手になったように思う サンゴの念珠をお下がりに渡しました

中学生ぐらいの時に 母が たぶん本願寺さんかどこかで買ってきて

くれたものです

そうそう出して使うものでもなく 菊の模様の布製の堅い

懐紙入れよりは小さい入れ物に入っているので新品同様です

あと30年もっていて 総白髪になれば似合わないこともないですが

いやいや手の肌の色とかが より汚く見えてしまうほど つやつやの

玉ですので 少し早いが 姪にあげることにしたのです

姪は手に通した念珠を目の上に掲げて 仰ぎ見るようにしながら

こう言ったのです


ピンクの地球みたいね~!

おお 地球を知っているのか 地球が青いことも

そういわれてみると サンゴ玉のピンクに雲霞のようにどことはなく

白色がかかっている感じが そうですねピンク色の地球です

40年くらい持っていて そんなこと一度も 思ったことはなかったが

こどもって すごいな


お通夜のお経の間 親戚の少ない一族ですので (叔母曰く

うちは滅びの家系だから) こぞって親戚席に着席していなければ

なりません 一時間 姪も着席していました

終わった後 トイレで姪にあったので 並んで手を洗いながら

長かったでしょ?! と話しかけると

うん。でも、楽しかった! と答えたのです


お坊さんの袈裟はカラフルだし なんだか歌みたいなの歌ってるし

祭壇は四季の花々が咲き乱れているし(菊にカトレア ストックなど

白や黄色や濃い紫の花々)

誰一人泣く人はいないし(男性の平均寿命を超えていたし 

心筋梗塞で うそ っていうくらい早くなくなったし)

みんな笑顔で 挨拶して お茶を飲んだり しているし

ジュースも出るし 髪も三つ編みにきれいに編んでもらっているし

 そうね 楽しいかもしんない 子供ってすごいな


9月のお誕生日には 何か 尊敬も込めたものを 贈りたいと思いました

ちなみに 亡くなったのは私の父ですが やるだけのことはやった

と 悔いはありません

悔いはなくとも祖母の時は 読経の間中 泣いたものでした

あの時は アラサーだった 若かった

今は通夜やお葬式で泣き崩れる体力もなく

老人となる前の 壮年時代の父との思いで を怒涛のように

思い出せる 記憶力も気力もなく

何より あの頃より 忙しい ということですね

姪の無垢な言葉に 母方の祖父が 私が五歳の時に死んだことを

思い出しました

覚えているのは 死に目に会えなかった母の妹が 喪服を着て

号泣していたこと その叔母に 近所のおばさんが 濡らして

絞ったタオルを投げて渡していたこと くらいです

父のひつぎには 姪の作ったお守りが入っていました

こどもってすごいな  


Posted by massan&junjun at 12:20Comments(0)