2012年07月10日

山田五十鈴逝く





じゅんじゅんです



芸能情報速いのだけは取りえのみやねやで 山田五十鈴逝く の報道が

芸養子って何だんねん?

とか

日本三女優って何?三大女優って言いたかったのかい

などの 疑問や怒りをものともせず さっと終わってしまいました

聖子ちゃんの時は 三日がかりで 相手は誰?

50歳で再々婚?とか みやねやは三日祭り状態でしたが

御年(このばかぱそこんは おんとし も変換できない 三島由紀夫に

たたっ切られますよ ところで モーツアルトが20世紀に生きていたら

シンセサイザーで作曲したはずだって フェイムの坊やは言ってたが

三島が今生きてたら 原稿は原稿用紙に手書きでせうか それとも

パソコン しかもデスクトップでなく携帯?)95の大女優の過去の業績

について 語れるコメンテーターがいない

そもそも テレビでは 必殺とか 晩年のNHKドラマくらいしか

51の私でも記憶がないんですもの

しかし 五十鈴10種(題でなく種らしい記憶違いか) といわれてる 舞台の代表作について

もう少し触れてほしかった

林真理子とか 名字失念したOO翠 とか 。。。はテレビのコメンテーター

でなく これから週刊誌に書くんですね 書くかな

まっさんはめったに週刊誌とか買って来ない 電車通勤はもっぱら語学の

お勉強か 無念無想らしいが 中心購買層ってどのあたりなんでしょ?

かく言う私も 地獄の通学電車から遠ざかって ほとんど買わなくなりまし

た週刊週刊誌 だいたい新聞に出てる宣伝で なにが話題か解るし

おおまかはあとで ワイドショーが取り上げるし


巷に出て 山田五十鈴逝くの 感想を求めていたけど 70代のひとに

マイクを向けてた

私が祖母のお伴で 山田五十鈴の芝居を観に行ったり

お伴できなくて 祖母からパンフレットを借りて読んだりしていたのは

勘太郎 今の勘九郎が 10歳だか12歳だかで 親子で連獅子してた

ころより前だから 70代の人 50代くらいで 観劇してたかも

なにせ伊丹監督のお葬式以前の邦画って ふるわなかったし

なにせアイドル映画全盛でしたから 洋画はフランスものはムード歌謡

見たいな映画音楽だし ハリウッドはブラッドパックにスターウオーズだし

そんな文化不毛時代の御婦人たちの楽しみは 五十鈴10種

祖母のお気に入りは たぬき


華岡青洲の妻 の 妻は十朱幸代ですが 五十鈴10種の場合は

他の配役でも対等な 青洲の妻と母が 断然 おかさんが主役!!

な演出で 有吉先生が執拗なまでに描いた 青洲の母の美しさとか

こわさとか 計算高さとか それさえ超えて 懐かしく美しい人 という

その人物像にどんぴしゃり だとおもったな

当時は 子育て中やまだ家事の現役な若奥さんの 趣味には時間もお金

も贅沢なものでしたから(お芝居には 食事休憩があるんですのよ

だから昼の部にしろ 夜の部にしろ 一日がかり) 客席のほとんどは

お姑さんでしたからねえ ええ


NHKがいくら わくいえみ主演でリメイクしようと 私は五十鈴10種の

ビデオが見たいぞ と(当時 テレビ中継でしか見てない)


水谷八重子(いま芳江ってうっちゃったよ二重に間違い)

杉村春子に比べて 長生きし過ぎたのかなあ

語れる人がいないのよ 彼女について どれほどの女優だったかを


最近の話題と言えば 一人娘が外国で死んだのに遺骨を迎えに

行きませんよ宣言したことくらい


せめて 心ある人に伝えたい

森茉莉が ドッキリちゃんねるに描いた 女優山田五十鈴の勇姿を

(どこかで食事をした折 休んでいたお茉莉の前に 山田五十鈴がいた

彼女は洗面所なぞにひっこむことなく 食卓に座ったまま 悠然と化粧を

なおした

それは女優の顔というよりも いわば 信長が 狩りの途中農家の縁側に

腰をかけ 一服の茶を 飲んでいるようなもの 古武士のような風格が

ある)

というような 内容の文章だった 探せばみつかります

中野翠(どうやら思い出した)編集の ドッキリチャンネルに収録されて

いるかは知らない 買ってないから

全集が図書館で借りられます

しかし森茉莉お気に入りの田中邦衛も もし亡くなったら

青大将と北の国からのひとに なっちゃうんでしょうか

そうすると俳優女優の一生って無常ですね


山田五十鈴に関する文章と それから田中邦衛を評するくだり


代々続く血族結婚のために~以下の文章は 傑作です

余人を持って変えられずとは このこと という文章が読めます

お茉莉は気に入らない人を執拗に非難する癖がありますが

褒め言葉だけ読んでいると まさに天才の仕事 という感じ

初見で見分けられたら それこそ天才ですがicon194

とにかく心臓が悪い人なんて信じられないほど息の長い文章で

それでもお茉莉は ドッキリチャンネルを 軽いもの と称し

じぶんは歳だから こういう軽いもので終わりたい と言っていたそう

山田五十鈴は舞台に立てなくなってから10年生きた

お茉莉も晩年 ドッキリチャンネルは休載に継ぐ休載でとうとう終わりに

なり気落ちしていたと言う

90代で死ぬか 80代か はたまた還暦前におさらばとなるのか

わからないが この梅雨の晴れ間 暑くて退屈で情けない気持ちで

あったが

結構私も アフリカ人のいうところの 図書館 なのだなと思い

拙い記憶をさらした次第です






Posted by massan&junjun at 17:26│Comments(0)
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