2009年12月29日

転移性攻撃なのかな


じゅんじゅんです


さて、まっさんは私より7歳年上だが、大きな声で怒鳴るとか、殴る

とかはしないひとだ。私の父親もそうで、まじめに仕事場と家を往復し、

浮気はせず、ギャンブルもなし、妻子を養っている。

父とは幼児期に3年という年月、別居して暮らしていた。父がサナトリウム

に入ったからだ。

0歳児の私が父に公園のブランコで遊んでもらっている写真が残っているが

記憶には残っていない。

私の記憶にある最初の父の姿と言葉は、日も暮れた台所でたたずんでいる

私に父が、「じゅんじゅん。おかあさん明日帰って来るよ」と声をかける映像

である。それは弟がうまれた後のことで、母の退院前日のことだったようだ。

弟が生まれた日、父は弟を見るより先に、病院から近隣の親戚中を飛び歩き、

「長男が生まれた」と報告してまわったらしい。

次の父の記憶は、祖母と二人、私と弟の前に座っていて、わたしは母に教え

られていた通り「おとうさん。おばあちゃん。」と呼んだが、弟は「おじさん。

おばさん。」と呼んでいる。私は弟をとがめながら、がんとして「おとうさん」

とは呼ばない弟がうらやましかったのを覚えている。

父は弟をてなづけようと、ウルトラセブンのブリキのおもちゃを買ってきた。

5歳の私が見ても、高価なものだと解った。

父はわたしに「さくら人形」と呼ばれていた、目に星の入った布製の人形を

買ってきた。わたしのはついでだ。しかし弟がウルトラセブンを壊したか

汚したかして母に捨てられた後も、わたしは「さくら人形」をずっと本棚に

飾っておいた。ついででも、一応、父の愛情の証しだったのだ。

父はセンチメンタルな男で、またサナトリウムではすることもなく、詩を

かいて、母が送った私と弟の写真の横に、自作の詩をおいて、アルバムを

作ったりしていたようだ。

わたしがそのアルバムを見た感想は、「こんなおセンチな詩など書いていな

いで、私や弟にハガキの一枚も送ってくれればよかったのに」だった。

私にとって父は長い間「不在」だった。それは再び同居した5歳から、一緒

にバージンロードを歩いた時まで、同じだった。

今は父は老人になってしまい、私も弟も、「自分に対してより父にやさしい」

と母はいう。それは仕方がない。母は老いても変わらず母だが、父は良く

知らないおじさんから、老人になってしまったのだから。

父の定年が二年延び、喜んでいる母をしり目に、わたしは修士課程の募集

要項を取りに走ったものだ。

学費の塩梅もせずに試験を受け、受かってから母に報告した。

ちょうど母が、父がサナトリウムに入っている間、私達を預かってくれた

祖母の看病に実家に帰っていた。祖母の死期は半年後に迫っており、私の

学費を出してくれるということになった。

私は生れてはじめての一人旅をして、学費を受け取りに行った。途中、室生

寺に寄り、祖母の病気平癒の祈祷もうけた。奈良の宿では、一人で泊まると

いうので不信がられ、夜遅くまで宿のおかみが部屋を出て行ってくれないの

で閉口した。

帰ってくると、父が「これからは苦学になるから、がんばりなさい」という

のだ。わたしは大学時代からバイトをして奨学金ももらっていた。充分苦学

している気でいたので驚いた。

私が高校二年の時、化学と生物だったかいい成績を取ったというので、いき

なり2万円をくれたことがあった。あまりにも唐突で、私の感想は、「ご褒美

くれるならもっと早くいってくれればもっと頑張ったのに」(われながら最低

なやつ)そういえば中②の頃かコマネチをみて「努力している人は違うんだ」

みたいなことを父がいうので、「わたしが努力してないって言うの!?」と

即座にかみつき、「そんな意味で言ったんじゃないよ」と父はうろたえたが、

もちろん努力してないから脊髄反射したんである。もっと粘り強く静かに教

え諭してもらえてたら、もう少しましな人間になったんじゃないかとおもう。

まあ人のせいにしてはいけないが。

ことほどさように、私と父の関係はぎくしゃくした不器用なものだった。

愛情を感じないわけではないが、私が必要とする愛情でも十分な愛情でも

なかった。過保護で、かといえば放任で、思い込みが激しく、優しいかと

思えば非常に厳しいことばを投げつける母の愛情と比べても、絶対量も少な

く、表現力も乏しかった。

その飢えを、ひとはもたらした相手に求めることはしないようだ。

むしろ他者との関係に、その飢えの充足を求める。

わたしは、まっさんに、「父の不在」の対価を払ってもらおうとしているの

だろうか。

学習する機会のなかった「甘える」という行為を、まっさん相手に実践しよ

うとしているのだろうか。

しかし子猫の肉球を気取っても、虎のこの牙や爪かもしれない。こって牛の

引きかもしれない。

今日も病院通いの私の代わりに、換気扇の掃除をしてくれたまっさん。

帰ってきてキッチンに立つと、どうもすっきりしていると思ったら、レンジ

横の調味料台の調味料が、ごっそり反対側の戸棚の引き出しに入っている。

「使う時に出せばいいじゃん」「嫌だ使いにくい。いいわよ。もう料理しない

から。」絶句するまっさん。「あとで自分の好きなように直しておけよ。。。」

父に比べれば、まっさんは家事などもいろいろしてくれるしやさしい。

けれど、どうしても、的外れな優しさに思えて苛立ってしまうのだ。

もっと「父なるもの」に対する恐れがじぶんの中に欲しいというか。

まっさんはわたしが元気そうでにこにこしていると安心する。

生活費をいつもより多少多くくれるとき、おもわずにんまりしていると、

「現金な奴め」といいながら、うれしそうだ。

だけど、私が苛立ったり、怒ったりしている時は、途方に暮れるか絶句する

かふざけながらなだめるか、なのだ。ご機嫌を取るというか。

それで不満というのはわがままなのかもしれないが、父にぶつからないで

済ませてしまった分が、まっさんに対する攻撃になっているのかもしれない。

苛めているつもりはないが、攻撃される方には、苛めですな。

でもそれだけ、まっさんが、一番近い存在なのかもしれない。

弟に転移性攻撃を仕掛けてもなあ。。。仕掛け返しされるのがおち。

というより彼は15カ月の娘の養育に熱心である。

これはきっと「父の不在」の彼なりの代替え作用だろう。

とても健全ですね。。。私の方は。。。病んでるか。まっさんが健全なので、

物足りないとダダをこねてるような気がしてきた。

う~ん。ないものねだりしても自分が苦しいだけ。まっさんがくれる健全な

愛情だけで満足。。。出来ないんだよなあ。仕方ないの。

不足分は想像力で補うしかない。あと、不足は不足で「存在することを認

める」ということですか。

父は子供がいても父になれなかったが、私は子供もいないし母になれない。

父と私は磁石の同極のように、似ているのかもしれない。








転移性攻撃なのかな



Posted by massan&junjun at 14:09│Comments(0)
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