2015年09月20日
須賀敦子を読む第四回
じゅんじゅんです
須賀敦子を読む 第四回講座に無事 出席して参りました
人数が増えたような気がするが 教室が狭いだけかな?と先生
皆さん避暑から帰ってきたのでは
じゅんじゅんは避暑ではなかったが第三回を休んだ
第二回は確かに 少なかったような気がします
本日は気温27度湿度70パーセントといったところ
教室の冷房は効きすぎな気がしたが 生徒さんたちが多いので
辛うじて 体が冷えすぎずに済んだ
第三回で済んでしまったかと思っていた章の半分までしか
すすんでいなかった
だんだん敦子の文章に厚みが出て 引用も長文にならざる終えず
また 説明の深度もさらに深くなって とても一回では終わらなかった
らしい
生徒に読ませると言っていたが 今回 先生は自分で読んだ
そのかわり 次回 コルシア書店の仲間たち の章では
一番印象に残ったところを抜き書きして来いという宿題が出た
宿題だが 先生に見せる必要がなく ただ それをするのと
しないのでは 読みの深さが違うであろう
月謝を自分で払っているので 宿題は忘れずに行う
言われたことをしてみないで 深く読めるようにならなければ
お金を損する 時間を損する それに自分が少し賢くなったような
気がしないとなれば まだまだ勉強する頭はあるぞという
プライドまですりへる
宿題だけでなく 自分で書いてみる ということをしたいのであるが
時間はあるのに 時間を有効に使う体力がない
もう ちゅらちゅらちゅらちゅら~ら~♪ の歌みたいに
いちにちひとつ あるいはその一つをするための準備 しかできず
一週間にできることはせいぜい三つ
まっさんの協力のおかげで 買い物は行ってもらい 宅配の飲料ケース
は二階にあげてもらい お風呂の掃除はしてもらい
何とか生活している
加えて 他の生徒さんたちと違い 須賀敦子を読むのは初めて
かろうじて 今日の先生の質問 コルシア書店の仲間たち を
まだ読んだことない人? に手を上げなくてすんでる程度
当然 じゅんじゅんが読んでいれば 読んだことない人はゼロになる
お~さすが と生徒さんたちを見まわす先生
で 宿題が出せたわけだが 本来の授業はここから始まる のでは
授業中にノートを取っているが 本当は授業中は何も書かず
授業が終わった途端に 収穫をかき出すようになれば
書き始めることができるし 書くことで深く読めるようになると
書くことを散々進めてはいるが 人に見せること前提では書くなと
自分が死んだあと日の目をみればいい 程度に 隠れて書く
しかし日の目を見た暁には 読むに堪えるものでなければならない
と
太宰を三か月集中して読めば 何かは書けるようになる
なんていってましたが 90日間集中して
ヨーヨーチャンピオンがヨーヨーを離さないがごとくに 太宰を離さなければ
書けるようになる とはいっても ヨーヨーチャンピオンもひとり
バリスタチャンピオンモ一人なのだが?
とにかく文庫の須賀敦子全集は買ったことだし
とことん読み込みましょう
敦子の文章はサラサラ書かれたものではなく 例えれば白鳥の
足かきのようなもの すさまじい推敲の跡がある原稿だ
三島由紀夫ハ書き直さなかったので有名だそうだ
敦子の文章は 書き始めることで読みも深くなる そういう対象に
最適な文章だそうです
すると一浪の秋を三島で棒に振ったのは 全くの無駄か?
文章は他人に見せるものじゃない という対極のことをやってますな
ブログなんて
でもまあ こんなのは文章じゃない 授業の感想文だ
そんなもの書いてる暇があったら 宿題やれって話ですな
で 五回の授業では到底 コルシア書店の仲間たち まで読み終わり
みこころの使途 ミラノ霧の風景 コルシア書店の仲間たち を
駆け足で探った程度の授業になってしまうので
読書は歯磨き 授業は歯医者
まだ歯垢除去も 歯並びの矯正も 途中ですからね
で 10月から月一で延長授業が三回 決定してました
行くつもりです
太宰は一人でも読めるが 須賀敦子は無理
私と違いすぎる 理解不能 絶対友達になれないタイプ
小林聖心に通うようなうちではないし
祖母の実家は寺で クリスチャンなんて六親等内の血族にも
姻族にもいません
でも教会式で式を挙げたな
敦子は式を挙げたんだっけ?
彼女の人となりを理解する必要はない 文章を読み込めと先生
だけど最初に三日がかりで年譜を読んじゃったんだもの
文学か心理学か伝記か 興味があるのはどこ?
全てを飲み込んでそれでもなお文学足らんというのが文学か
Posted by massan&junjun at 02:40│Comments(0)