2011年05月09日

かたみ


じゅんじゅんです


GW中 掃除に燃えるまっさんに 命じられたのはクローゼットの整理

私のクローゼットのかなりの床面積を占めるBOXの中に 祖母のかたみが

はいっています その整理をしようと手を付けたのですが。。。



父方の祖母とは ずっと同居していました

50歳しか違わず 曾祖母が髪が白くならない人だったため 祖母は髪を

染めていて 10歳の私は144センチもあったので よく母子に間違われ

ました

85で逝った時 私は35

まだ未婚でしたが 喪失感を癒すため 母の故郷に静養に行き

母方の祖母の墓参りに伊王島に行くと 祖母の妹が居ていうには

今日は神様の日と仏さまの日が重なった(成人式がある為 日程が

ずれたため そう 1月に行ったので)めでたい日で そんな日に来るとは

運がいい いい婿さんが見つかるわ とか言われて帰ったのですが

その年の暮れも押し迫ってから まっさんとお見合いすることになり

まっさんは婿さんになったのでしたが 予言した母方の祖母の妹は

まっさんとお見合いした12月の頭に亡くなって 私はお葬式にも出たの

ですが そのときはまさか 予言が実現するとは思っていなかった

話は前後しますが 祖母は25で未亡人になっていて 前に話したか

川崎大空襲の夜 起きない15の父を捨てて逃げた時が 34

曾祖母も未亡人になっており こちらは37

そのあたりの年齢で 私は結婚というものをして

彼女たちが未亡人として生きていた年齢を 主婦として生きているのです

当然 彼女たちは 大黒柱として働かなければなりませんでした

美人だった曾祖母は 顔に墨を塗って 大型トラックの運転手をしたと

言う話です 戦前のことです

そうして祖母の兄を学校へ通わせ やがて寺を開くのですが

祖母は18の時 お嫁に出されました

2代目の未亡人であった祖母ですから そのかたみといっても

大したものはありません

かたみ


偶然 まっさん家の家紋も下がり藤なのですが これは浄土真宗の門徒

が襟にかけるものです

まっさん家は違う宗派なのですが なんと 伊王島のお墓のある寺と

同じ宗派なんですよ びっくり

かたみ


いっぱい男性が写っていますが後列左から二人目が曾祖父

祖母の父です

下のお稚児さんが 私と弟

こけしちゃんは お土産に買ってきたけど 思い直してお金をくれたり

したときに 手元に残ったものでしょう

かたみ


行きましたねえ歌舞伎座 新橋演舞場

祖母と最後に見た演目は 勘九郎(16代勘三郎)と勘太郎の連獅子

かたみ


祖母は週刊誌でもパンフレットでも本でも 私が積んでいるもの

捨てようか 保管しようか 迷って積んだ物の中から

ひょいと持って行って読んでいました それこそジュネでもアランでも

なにせ 昼食に帰って おしゃれ なんかを観て 午後の授業に行こうか

行くまいか迷っている高2の私が ぼんやり一緒に昼メロを観ていたら

ヒロインが だめよ一度だけと言ったじゃないの とかいうと

「一度だけよじゃ済まないのよ」とか「一回なら事故 2回目までは

間違い 3度目からは自分の意思」とか 聞こえるようにつぶやくんでした

かたみ


祖母は晩年 夏場は浴衣地のワンピース(多くは母のお手製)を着て

いましたが ほとんどを和装ですごしたひと 扇子は普段使っているのを

あまり見ませんでしたが 結婚式など 正装の時は見につけていました

写真ではそうでもないですが ちょっともとうかというには

あまりにも地味好み 祖母は 50で隠居する時には その後ずっと

着て行かれる着物をあつらえるものだと言っていました

50も90も 同じ色身の着物や小物なんて 耐えられませんよね

でも昔は 人生50年なんでした

かたみ


形見の箱に 一緒に突っ込んでありました 祖母の介護日誌

読むと 亡くなる前日の夜まで 話しているのがわかります

かたみ


結局 まっさんが夜学で勉強している間 この箱一つ整理して

処分出来たのは

かたみ


たったこれだけ

中身が漏れた電池とか 自分で買ったのではなさそうな小袋とかでした


Posted by massan&junjun at 00:53│Comments(0)
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