2009年08月20日

香焼の話


じゅんじゅんです

コウヤギに子供の頃住んでいました。

この地名の由来を最近まで知らなかったのですが、祖母が弘法大師を信仰

していた記憶があり、なぜ氏子総代の娘で浄土真宗の檀家総代(浄土真宗

では門徒というのだが、五島では違うのか、宗派が違ったか)の妻である

祖母が弘法大師を信仰していたのか長い間わからなかったが、地縁という

ものだったのかもしれない。

ここは長崎の町中から一本道路で延々と車で走ってやっと着くという土地

で、香焼から長崎の大波止まで行くのに、バスに乗り遅れたらハイヤーを

飛ばし3っつくらい先のバス停でバスを捕まえて、さてそれから、という

遠さでした。

今では香焼も伊王島も長崎市に編入されているんですね。でもきっとバス

の頭には残っているでしょう「香焼行き」

夏には屋台のアイスクリーム売りがやってきました。

アイスクリームというかシャーベットというか黄色くて、コーンにのせて

シングルやダブルがあり、いい子にしてた日はダヴル、ちょっと悪い子で

もシングルを買ってもらって食べるのが楽しみでした。

卵を買いに養鶏場に行ったり、公園には山を切り崩したところがそのまま

滑り台として残っていて、男の子たちがダンボール紙をお尻に敷いてすべり

降りていたり、今では公園で見かけない回転式の遊具の数々があり、そんな

遊具に群がっていた幼いころの遊び友達との写真を見ると、どのこもちょっ

と、現代の日本の子供たちより、ラオスとかカンボジアとか、一昔前の

ベトナムのこどもたちみたいに見えます。

色が黒くて、それでも髪はもっと艶やかに黒くて重たい。本当に最近の幼児

は色白で髪も軽い感じですものね。

それに着てるものが違う。明かに冬だとわかる厚着です。私がカーデガンの

襟元から白いレースのブラウスを出しているのが一番の薄着。皆はセーター

を着てます。皆はズボン。私はスカートにタイツを履き、スカートの下には

毛糸のパンツをはかされているはずです

タイツに毛糸のパンツ。どんだけ寒いんだか。それになぜそんなに寒いのに

外にいるんだか。子供は風の子だからですね。そういう時代でした

昭和40年前後です。

20年ほど前、香焼を訪ねたことがあります。祖母が住んでいた家のあたりは

道路になっていました。祖母は与えられた公団住宅の部屋がいわくある井戸の

上に建ったのを嫌って、海岸からすぐそこに見える伊王島の弟の迎えで島に

帰ったのでした。

祖母の弟はタンスひと竿と茶ダンスくらいと祖母をのせて、手漕ぎの船で

島へ運んだのだと母は言いますが、まあモーター位は付いていたでしょう

私はその船で、島までつれていってもらったことがあるのです。

それでも伯父が使っていた木の上等の机や、食堂の板の間の壁いっぱいに

据えられていた一間ほどの幅の、まるで押し入れみたいな食器ダンス、

曾祖父が担いできたという風呂、私が持って帰ることを許されなかった

兎の耳の大きな抱き人形などは、うちすてられたまま、香焼の藻屑と消えた

のでしょうか。

祖母の家の前には戦時中畑に使われたまま、庭として使われていた場所が

あって、そこにはグミの木が生えていました。グミの実は甘くて、食べても

食べても手が出たものでした。喘息の薬だと植えられていたアロエ。

鼻でも耳でもその汁で治るといわれた雪の下。

すべて今は、香焼のあの道路の下にうずもれてしまい、幻の庭になってし

まって、郷愁をさそうのはセピア化したモノクロ写真だけなのです。


香焼の話



Posted by massan&junjun at 22:30│Comments(0)
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