2012年10月23日

躾けを しつけ と書くなと思うこと その序






じゅんじゅんです


今朝は今夜録画して明日の朝見るバラエティー(まっさんは あまり

バラエティーが好きじゃない 知識と笑いの処理回路と記憶回路が

リンクしているタイプじゃないんです こういう人の方が 資格試験の

勉強には向いてます)に 玄孫シリーズがあったので予約しながら

ふと 先週の玄孫シリーズにひとり阪妻の孫( 四男田村亮の息子です)

が出ていたことを思い出した

そうしたらなんと 無法松の一生 をBSでやっている

何はともかく見ることにした

玄孫シリーズの番組内で 阪妻についての逸話を紹介していたが

私も年の功で二つばかり紹介できます


太秦が元阪妻の土地 という話や 大変な大スターであったという

印象から 今の売れっ子のようにさぞかけもちして忙しかっただろうと

思う向きもあるかと思いますが 私が予備校時代 引退した東大教授の

講師に寄りますと 阪妻は台本を貰ってから撮影まできっちり二カ月以上

取れなければ 仕事を引き受けなかった ということであります

その間 まったく他の仕事はしないのであります

セリフを覚え その役になりきるのか 役をつかむのか そこのところは

わかりませんが

先生は言ってました 阪妻はそれほどえらい えらかったのだ と

当時の私は その先生の 清少納言はでしゃばり 紫式部はひかえめ

みたいな人物評に好感を持てなかったが 阪妻の話は素直に記憶

しました

しかしひねたいま思うと 定年後に悠々自適 晴耕雨読で自分の

研究三昧するわけでもなく 予備校の講師なんかしている自分という

忸怩たる思い あるいは諦観があって 話してくれたことだったのかもしれ

ません 少年老い易く 学成り難しを 地で行くような 昔話で恐縮です

で 阪妻を本当に偉いと思っている私は 明治天皇の玄孫なんかと

並んで座っていて欲しくはないですね 傍系の孫に

アナウンサー エレーヌの夫のように 素人の私がテレビ出演して

何かメリットがあるのでしょうか? と断ることは出来なかったにしても

本人のメリットになんか感心ありませんが 素人がテレビに出てるのを

観せられる こちらにも この場面 何かメリットはあるのでしょうか?

といいたくなる 彼は役者だそうで 阪妻はともかく 田村高広(旧字で

書きたいよおicon41) 田村正和などを伯父にもつ身で

その世界で生きて行こうという蛮勇の持ち主 でもどうでしょう

大根 向井理ほどの華もないし 

まあ元法学徒としては職業選択の自由にとやかくいうのはやめましょう

阪妻見たさに ついでに見せられたからってねえ

(GJ!エレーヌ・夫 とは誉めておこう )

まあ阪妻のお孫さんに 文句つけてるわけではありません

番組の構成上 えらいご先祖とそうでもない子孫を対比させて

ジェラシーを昇華させて笑えるという番組に仕上げるための生贄

ですから

然し笑っている視聴者に対して 冷や水をぶっかけるような言葉を

露伴の曾孫 青木奈緒が 10年以上前の番組で発していました

露伴に比べて 代々 才能が小粒になっている というような批判を

うけるが それはそうだろう 時代そのもの 世間そのものが

今や江戸明治に比べて 時代に連れて小粒になっているのだから

幸田家だけが例外であるはずがない

BSアーカイブスですが 今から10年ほど前の番組連ですら

今とは全然ちがうクオリティー グルメやおしゃれ小物 ジャニーズや

アニメ 携帯おおぎりなど NHKの番組制作者すらひょうきん族世代

かもしれないが 例外じゃないですね

いやあ 幸田奈緒 見直しました


見直したと言えば 竹田さま(玄孫登場初回の有吉の変わり身は

必見icon194 このくすぐり出来る芸人は貴重)

もっといやったらしい人かと思っていたが ワイドショーで女帝問題の

解説してた人と 同じ人と思えないほど 人格ムケテます)

ワイドショーのコメント出演で腕を磨いたとも思えないが 思えば

あれから10年くらいたっているんですかね よその子は成長が早いって

ほんとですね



ああ 阪妻の話でしたね もうひとつは 玄孫シリーズの中で

紹介された 阪妻プライベートライフ

当時のカメラでうつされた 休暇でくつろぐ 阪妻の姿ですが

一緒にうつっているのが 四男の亮でした


むかし朝日グラフというのに 有名人の夕食シリーズ のちには朝食

シリーズというのがあって 好きでよく 図書館などでみていましたが

文庫化されたときに買った覚えがあります(あの本どこいった?)

なかにふたつ(またふたつかよ どんどん増えて行くとお思いのあなた

しかもこれ 本題の序なんです 嫌ならツイッター村へどうぞ

性に合わないってあるもんですから )


そこに田村高広氏が庭で食卓を囲んでいる写真があって

奥様と確かむすめさん 当時独身で居候の亮氏がうつっているのですが

たぶんそこの地の文章に 高広氏の言葉で 父はひとり御取り膳で

座敷で食事しており こどもたちは別室で 一緒に食事なんかした

ことはなかった というようなことが書かれていました


番組で流されたフィルムの頃は 亮氏がもう中学生くらいでしたから

年の離れた長兄である高広氏の覚えている 別室で食事する父

阪妻 のイメージではありません

私は 視聴者の皆さんに むしろ 別室で一人で食事する父親としての

阪妻を記憶してほしいです 青い馬だけは駄目です


阪妻の逸話 ふたつ紹介し終わりましたよ アンダースタン?


で アサヒグラフの文庫本でもうひとつ記憶にある写真と地の文章と

いえば 大関貴ノ花の言葉です

かみさんは女優だったから 飯の炊き方から 俺が教えたんだ

今ではなんでも ひととおりできるよ

みたいなこと でした

この奥さんは 初代若乃花に 女優では御粥も炊けまいと 結婚を

反対された 若貴のママです


で なぜにしてこの文章が 枝葉に枝葉を重ねて なお序 かと

申しますと

もう一度 阪妻に戻りますが 無法松は車引きなのですが

なぜに車引きなのかと言いますと 生まれつき運が悪いから と

奥様の口からぼんに説明され

のちにぼんは 無法松のうち腿の傷に気づいて じゃれるうち

無法松の口から聞くことになるのですが

無法松がただ一度 ころころと泣きに泣いたのは

ぼんのように良い母親に恵まれたものにはとうていわからないほど

ひどいひとであった継母に 折檻されてはだしで家の外に出され

そうすると遠くにつとめに出ている実の父が恋しく そうなると

どうしてもがまんならず はだしで食うや食わずで とうとう父親の

ところへ歩きとおす はじめ戸口に立つのに父親は気付かず

仕事仲間たちが おまえは子たぬきか?さあ こっちへはいれはいれ

と誘うのに こどもは入って行かないが はっときづいた父親が

かけよると 子供は片手で顔をおおって 体を揺らして泣く

子供ははだしだ 父親はそれにきづいて 切なそうな顔で もうここまで

来たからには 泣かんでもいいじゃないかと なだめるが こどもは

なおも泣くのである


それをみていて 幼児虐待を しつけ とうそぶく不逞の輩への怒りが

わき

さらにいえば やたら当用漢字だけで記事を書く新聞への怒り

幼児虐待したものが 生みの母なのか継母なのか養母なのか

実の父なのか単なる母親の同棲相手なのか それこそ見出しだけ

ではわからない 続柄名称の単純化への怒り などなどが

湧き出て来て止まらず


せっかくの 伊丹万作の脚本のすごさが堪能できなかった怒り

いやいや 本がいいから あの場面を観ていて たった数行の新聞

記事で 日ごろの怒りが煮えたぎったのであります


暴れ太鼓なんぞ 逆立ちしても打てないので 乱れに乱れた文章で

皆様のお眼の穢れになりますこと まことに御容赦のほどを (続)


Posted by massan&junjun at 13:26│Comments(0)
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