2010年03月30日

ターシャ・テューダーとミス・ジェーン・マープル



近年、私の母の憧れはターシャ・テューダーであった。

四時半のお茶を、自分で「耕した」庭を眺めながら飲む彼女の

花柄に花柄を?チェックにチェックを。ワンピースに手編みの毛

糸を重ねた様な彼女のその姿に、「自然」と「自由」を感じて憧れ

たのであろう。

「おばあさんでも、ああいう格好してもいいのね」

あのう、あなたは痩せてるし格好をまね出来ないことは無いけど、

微妙な色彩感覚とかセンスとかねえ(服だけでなく靴も大事なト

ータルコーディネート)同等のレベルまでにはなれないと思うよ。

憧れの彼女の庭だって、57歳からスローライフに入って30

数年かかってなお手直し中のしろもの。しかも長男のセス氏が

ほぼ毎日、水くみや大工仕事をして彼女を助けていた。

最初の結婚相手がすすめた絵本デビューといい、二度の離婚を経

てのスローライフといい、一度も1人暮らしをしたことすらない

母には憧れではあっても、真似はできないと思う。

そういう私の憧れは、強いて言えば、ジョーン・ヒクスン演じる

(声は山岡久乃!!)ミス・ジェーン・マープル。

ああ、思いっきり架空の人物。我ながらがっくしだが。

母と違ってまだターシャの庭を作ろうとする30数年は寿命があ

るかもしれないのに、私が憧れるのは、もっとずっと小さい庭を

眺めながらハイヌーンティーを飲む(午後にはタイムズを読みな

がら)ジェーン・マープルなのだ。

ジェーンには甥もいれば、自分で仕込んだメイドもいる。

ときどき通いのメイドを雇ってくれるのは甥らしいが。

たぶん収入と言えば両親が残した遺産の運用。晩年に富豪の遺産

をもらって?「山鶉の肉」を堪能できるようになったのは喜ばし

い。

映画館にも行けないし、ジェーン・マープルでも読み返して、彼

女の研究でもしてみるか。

ジョーン・ヒクスンのビデオでも見てファッションの研究もいい

な。

ジョーン・ヒクスンのミス・マープルは、お出かけの時?には

クロコダイルのハンドバックを下げています。牛の型押しではな

いよね。

60~70歳という設定より年を取っているように見えますが。

1950年当時のその年齢は、今の後期高齢者のような扱いだったの

かもしれません。私の祖母は1961年で50歳でわたしという初孫

を持ち、55歳で定年になったのですが、そのあとは完全に隠居

していました。

高校の同級生など、今頃になって「あなたのおばあちゃん、楽し

そうで好きだった。遊びに行くと三味線の音がしてたり。。。いい

感じだった。」なんていう。

祖母は9つの時父親が死んでお譲さま生活から転落して、結婚・

新婚時代には妹が結核で死ぬし、20で未亡人になるし、さんざん

だったとおもうのだが、25から55まで仕事をして、息子が所帯

を持ったらそこの一室で完全に隠居。朝はNHKのテレビ小説な

ど見ながらトーストとカフェオレでお食事(自分で作って自室に

運ぶ)昼は懇意のおそば屋にふた付どんぶりを持って行って玉子

丼か親子丼を作ってもらい自宅に帰って食べる(そんなことして

たなんて、死んでから知った。葬儀の後あわただしくておそば食

べに行った私に、そば屋のおかみさんが、おばあちゃんはよく、

自分家の器でおもちかえりしてたわよ、と半分薦めるように話し

たのだ。その店は近所に工事に来ている職人さんがこぞって食べ

に来る店でテレビもついているし騒がしくて落ち着かない感じも

するのだ。)か自分で鶏の肝などを買ってきて玉ねぎを煮つけて

ご飯のおかずにしたり、母が鯛のアラなどをまとめて煮つけてい

たりしたらそれをすっかり平らげていたり、煮ものに手羽先や手

羽元を出汁代わりに使って煮つけておけば全部食べちゃったり

していた。

土曜日は私達姉弟も一緒にお昼を食べるのだが、盛りそばをとる

かとうもろこしをゆでるか、お総菜を買ってきてご飯を食べるか、

コロッケとメンチを食パンに挟んで牛乳で食べるか、その日の気

分で決まった。キャベツと卵だけが具の味噌らーめんや塩ラーメ

ンも良く作って食べた。

祖母はベッドの下にクッキーの缶、柿の種とピータッツの缶、A

BCビスケットの缶を持っていて、私は良く、夜の10,11時に

小腹が空くと貰いに行っていた。

祖母は夕食時、呼ばれると降りてきて食卓を囲むが、食後のフル

ーツやデザートのお菓子が出てくる前に「ごちそうさま。おやす

み」と自室に引っ込んでしまう。それから11時に寝るまでずっ

とテレビを見ている。わたしが新聞と一緒にゴミに出そうとおい

ておいた古い週刊誌や、あるときなど「ジュネ」とか「官能小説」

とかも老眼鏡をかけて読んでいたりした。

デザートやおかしを運ぶのは私の役目で、祖母が「必殺」や「銭

形平次」等をみるときは、一緒にデザートを食べたりしながら見

た。

祖母の部屋は狭く、布団を敷いたら暖房器もつけられないので、

電気毛布のなかに足を突っ込んで、ふたりしてテレビを見るのだ。

そんなとき祖母はお風呂上がりの私の髪の艶を褒めたり、した。

祖母は私を美人だと思っていて、「大谷直子のような顔をしてる」

と叔母に言った。その叔母が18で島田に結った時、近所のひとが

「誉めそやすのよ」と不快そうに思い出話をした。

叔母は安物が嫌いでコートでもなんでも誂えた。叔母のお下がり

のコートを着てみせると「それはあつらえだから、しっかりして

るはず。あんたに似合う。」といった。

祖母は白髪で、背筋がまっすぐで和服が良く似合った。

しかし夏服は簡単服で済ませていて、晩年は浴衣地のワンピース

等を着ていた。

私は祖母こそ、ジェーン・マープル風のイギリスの中流老婦人の

いでたちが良く似合ったはずと思う。

祖母はお乳が小さくて腰は張っていて足が長かった。

ただ祖母は母のお手製のスーツ姿でも平気でぞうりを履いていた

りした。

祖母は自室のベランダに鉢を並べて花も楽しみ、老人会の公園

掃除に熱心だった。老人会で旅行にも行き、実家の寺の主催する

旅行にもよく参加した。それというのも働いていたから年金が

あったのだ。

ジェーン・マープルとちがって孫もいたが、甥や姪にも慕われ、

近所のひととも50年近い交わりを持っていた。

6歳の6月6日からならったという三味線という趣味。

叔母が毎月のように誘ってくれた歌舞伎の楽しみ。

叔母が都合が悪いとお伴はわたしとなり、歌舞伎座にも芸術座に

も新橋演舞場にも芝居を見に行けた私の10代後半から30代前

半の日々。

のちに足かけ3年ほど祖母の介護をすることになるが、今思えば

充分な前払いをしてもらっていた気がする。

祖母のように孫娘に看取られて自宅で死ぬ、ということは私には

望めない。

せいぜいジェーン・マープルの研究でもしよう。

ジェーンには両親に反対された結婚の思い出しかないが、私には

幸せだった新婚の頃の思い出もあるのだ(すっかり過去形)から。







Posted by massan&junjun at 16:07│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。