2009年12月30日

二本松はどこへ



じゅんじゅんです

五島の二本松というところに祖父の実家があって、今から55年前に子供の

ない祖父の弟夫婦のところへ母が養女分として入り、大叔母の方の親類から

婿を取るという話が持ち上がっていたが、大叔母の親類の男性はなんという

か、要するに男前が悪くて19の母の気に入らず、母は半年で逃げ帰って

しまい、代わりに母の妹が16で養女分として行ったが、やはり一年くらい

で逃げ帰ってしまった。しかもふたりとも親元に帰らず、長兄を頼って横浜

に出てきてしまったのだ。

その後、誰も養子の来てがなかったのか、大叔父がなくなると、大叔母は

家を畳んで、自分の親類のいる地区へ住みかえてしまったらしい。

しかも、晩年どうかしていたのだろうか、大叔父というひとは、納屋を焼き

払うだけでは足らず、母屋もたたき壊してしまったらしい。

五島の地図を見ると、一本松や三本松はときどきみかけるが、肝心の二本松

という地名が地図上に無い。

二本楠のまちがいでは?と思いだしたところ、上五島北部地区簡易水道

二本松水系 二本松浄水場 などという活字を発見した。

水質検査表らしい。二本松浄水場はどこ?地図を探しても名前はみつから

ない。

二本松の松下と言えば知らないものはない。と母は豪語していたが、もはや

地図上に地名さえなく、知っていた人たちも死に絶えたことだろう。

だいたい税金というものを4~50年も払っていなければ、土地はすっかり

町のものだし、だいたい50年以上も前に、捨ててきた土地ではないの。

スカーレット・オハラはタラのためには妹の婚約者さえ奪った。土地という

ものはそれほどの執着心を生むものらしいが、犠牲なくして執着心だけを

もって年を取ってもらうと困る。

祖父は五島にいた時、檀家総代の曽祖父の代わりに寺の仕事もして、ゆくゆ

くは村長にという道が決められていた。

しかし、島の不便な生活や、大舅に姑。長兄夫婦にその養子の四男夫婦なぞ

のなかで、母の長兄と次兄の子育てをする辛抱ができなかった祖母は、ある日、

船着き場へに一本道を、山坂を一息に降りて行ったそうである。

すると、高い木のてっぺんに登っていた母の次兄が祖母を見つけ、

「かあちゃ~ん どこへいくとね~」と叫んだそうだ。

祖母は後ろを振り返らず、まっすぐ船着き場を目指す。

しかし空から、「かあちゃ~ん かあちゃ~ん」と何度も呼ぶ声がする。

祖母は踵を返して戻って行った。

その後夫婦の間で話し合いがあったのだろうか、祖母がどうしても田舎の

生活は嫌だと言い張ったのか、ほどなく家族四人で市内に出て行くことに

なった。おかげで母も生まれたわけだが、そこで夫婦が分かれていたら、

私も今、ここにいないんではないだろうか。

だから祖父にしてみれば、自分の生家を誰かに継いで欲しいという思いが

最後まで残っていたのだろう。二人しかいない娘を、つぎつぎ養女分として

送りこみ、どうにか後を継がせたかったらしい。

しかし、どうして娘を送りこんだのだろうか?むすこが5人もいるのだから

だれかひとり養子に出していれば良かったのでは。

祖父は「子供を養子に出すものではない」という信念を持っていた。

だが、娘ならどうせ嫁に出すものだから、養女分にしたのだろうか。

祖父はやはり、未練があったのではないだろうか。自分の生家に。

四人兄弟の二男で、本来なら家を継ぐ立場に無いので陸軍軍人として生きて

行く予定であったのに、他の兄弟にことごとく子供ができず呼び戻され、

それならばと村長になって骨をうずめようとしていたら妻に反対され、

町で慣れない会社勤めを余儀なくされた。

生家を存続させる以上の仕事ができなかったという思いがあったのでは

ないだろうか。

それにしても、婿を大叔母の方から取らねばならないというのは、ずいぶん

妻の権利が上がったものだ。戦後の民法のおかげか。

なにせ大叔父の妻たちは、子供ができないというので何人も地所をつけて

返されたそうだ。もう分けるほども財産がなかったのかもしれない。

祖母が子宮がんになったとき、祖父が借金を申し込むと、祖父の長兄の妻は

「そんな大金は用意できないが、あなたの取り分の山を売れば出来る。

そのかわり今後一切、こちらからの援助はできない。」といわれ、その条件を

飲んだそうだ。

それでも血筋のものと言えば、祖父の子供たちしかいない。

そのような事情で娘を養女分として婿を取るという話が出来上がったの

だろう。

しかし大人たちの都合やもくろみを吹き飛ばす娘心。「背が低くてぶさいくな

男は嫌。」

まあ母達の選択は正しかったかもしれない。弟も従弟も長身でまあまあの

男前だから。

綾小路きみまろ は、美人も50まで、50過ぎたら内臓勝負と笑いを取って

いるが、人間の体は内臓だけでできてはいない。骨格というものも大事なの

だ。それから、「皮膚は最大の臓器」という。肌が合う合わないともいい、

それは人と人だけでなく、人と土地にも相性があるということではないだろ

うか。

それにしても、本当に、どこへ消えてしまったのだろうか。

二本松の家から級長だった母の長兄は小学校に通い、もっと山奥から通って

来る子供達には帰りが夜遅くなってできない町へのお使いをたのまれ、一回

行くと5円もらえたそうだ。

二本松の地所を相続したらどうなるか、母の長兄は役所にシュミレーッション

してもらったらしいが返答は、「サラリーマンの年金生活では維持して行くの

は到底無理」というものだった。

大叔父がたたき壊してしまったという大きな茅葺の家。民家園のような

ところへ行くと、母が懐かしがって、うだつや上がりかまち、大黒柱やそのた

もろもろのうんちくと昔話を始めるので閉口する。なにせこちらは一度も、

写真ですら見たこともないうえに、母だって19のときに捨ててきた家なのだし

大叔父がたたき壊してもうない家なのだ。

それでも、一本松と三本松は地名があるのに、消えてしまった二本松の、

近くの寺に、先祖が眠っているのかと思うと、不可思議な気分になるので

ある。



二本松はどこへ



Posted by massan&junjun at 20:26│Comments(0)
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