2009年11月11日

舅の思い出(後)


じゅんじゅんです。

舅の認知症が進み、介護保険制度がはじまると、ケア・マネージャーが判定の

為の面接に来た。姑は軽やかにおしゃべりをし、「おいおい、そんなことじゃ、

実際より判定が軽くなるのが落ち。。。」と私は口数が少なくなって座っていたが

これで面接はおしまい、という段になって、舅は唐突に姑に向かっていった。

「つまり、あなたのために、(私はデイ・サービスに)行くんだね?」と。

私は「そうです!」と言えばいいのになあ、と思いながら、姑が「何言ってる

の。お父さんのためよ~」と答えているのを聞いていた。

ケア・マネージャーが辞した後、姑が、「いいひとみたいね~」と機嫌良く話

し出すと、舅はその話を断ち切るように私の眼をじっと見て「口数の多い人に、

仕事のできる人はいないものだよ。」と言ったのだ!!

今を思うと、舅を施設に入所させて、その昼夜逆転や、突然の錯乱や、姑との

喧嘩まがいの言い争いや事故、その他もろもろの騒動から逃れた生活がした

い、

夜はゆっくり眠りたい、と念じていた私の、思っている方向へ、これで一歩

確実に前に進めたね、と、見破られていたような気さえする。

まあ、考えすぎだが。

舅のために、かわいい赤ん坊でもちょろちょろさせてあげられれば良かったの

かもしれないが、私には無理だった。舅は小鳥を買い、かわいいものに触れた

い欲求を満たしたが、自分で飼育は出来ず、姑は動物が苦手でいやいや世話

をしていた。それで小鳥は逃げたり死んだりした。

どれくらいの期間続いただろうか。ひと冬かそこいらの間、外出のたびに

小鳥の練り餌のもとを買ってくるように頼まれた。

ある日、整形の帰りに、舅を連れて小鳥屋に行ったところ、小鳥屋の主人が

いろいろ舅に話しかけるので、「まだ74です」とわたしが答えると、

「ずいぶん老けてるねえ!」と言うのだ。「おとうさんのこと、ずいぶん年寄

り扱いして、あっちの方が年寄りなのに。。。」と私が言うと、舅は勝ち誇った

ように笑って、「そりゃ、あっちは気楽な商売だからねえ」と言ったのだ。

後年は、施設に面会に行き、喫茶室などに舅を誘って、コーヒーなぞを飲んで

いると「こうして遊んでるのも楽しいけどね」とか言って、すぐに部屋に帰り

たがった。ある日曜日、どうしても「3時に取引先の人が来るから」と言って

部屋に帰りたがるので、「今日は日曜日ですよ。銀行の人は月曜日に来ます」

というと、「そうか」と笑って、カステラを二切れ、ゆっくり食べた。

舅の笑顔は無邪気で、しかし一言何か言う時の、目の鋭さは晩年にも衰え

なかった。

舅の認知症はいわゆる「まだらぼけ」で、日によって、重役の時の自分で

あったり、定年を迎えた自分でもあった。舅はたびたび履歴書を書いていた。

その、性質とか性格の欄に、「自分は温厚な紳士である」と書いてあった。

わたしはそれを見た時は笑ったが、今にして思えば、それは舅の理想であった

のだろう。病気が、妻が、結婚しない息子が、その理想を追求するのを阻んだ

のだ。結婚して3カ月後ほどのある午後のお茶の時間に、たまには舅姑とお茶

でもしようかと階段を下りて行く私の耳に舅の声が聞こえた。

「二階は静かだなあ。まだ子供はできないの。」姑が「そんなこと言っちゃ、

駄目なのよ、おとうさん。」と答えている。

私は階段の途中に座って息を整えた。そうして下に降りて行かず、

二階に戻ったのだった。

まっさんの仕事の都合でその年の秋、新婚旅行に出かける私に、「この旅行は、

人生の素晴らしい思い出になるよ」と言った舅の声音が今も、

私の耳に残っている。



舅の思い出(後)



Posted by massan&junjun at 22:36│Comments(0)
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