2009年09月16日
思いやり(前篇)
じゅんじゅんです。
私の母が同窓会で同級生の一人に言われたそうだ。「Mさんのお弁当はい
つも白米やったけん。うちはうらやましかったとよ~」60代にもなってい
た母はびっくり仰天したらしい。私立のお嬢さん学校だったので、母曰く、
見栄っ張りの祖母が着物を全部売っても、朝と夜は芋を食べても、昼の弁当
には白米を持たせたので、当然同級生もみんな白米を食べていたと思ってい
たのだ。
そこで母が記憶の底から引っ張り出した話。
母のすぐ下の弟は海星というおぼっちゃん学校(三輪明宏さまの母校ですわ)
に通っていたが、弁当の白米の上に、びっしりとろろ昆布を敷くことを祖母
に頼んだということだ。祖母も母も、なんでそんなことをするのかわかって
なかったらしい。母は「白米だとわからないようにとろろを敷いたんだ~」
と泣いていた。
叔父は58ですでに急逝していた。
叔父の葬儀で、警察学校の同級生が弔辞をよんでくださった。
「警察学校では柔道の授業がある。未曾有の就職難でにわかに警察官志望に
切り替えた者の多かった同級生の中で、M君はいつも朝一番に道場で稽古
をし皆に稽古をつけてくれた。その時の黒帯姿がわすれられません。同期会
の旅行に次回からは細君を同行するべしと提案したのもM君でした」
叔父は自分が主将の時他校の補欠だった「佐田の山」が横綱になったんだか
ら自分もなれるといって、「栃嵐」などという四股名まで自分でつけて入門
する気まんまんだったが、出羽の海部屋で「出羽光」という四股名で相撲を
取っていたことのある仲父(母の次兄)が出羽の海親方に頼んで、どこにも
入門出来なくしたという。
叔父は仕方なく講道館で柔道三昧の高等遊民生活をしていたが、校長先生か
ら警察学校で試験があるから帰ってこいと電報が来て帰ったらしい。
母が叔父のことを、15くらいで白米の上にとろろ昆布をしいて、ひとにわ
からないようにするとは、えらいとしきりに褒めていると、その叔父のすぐ
下である叔母は、「でもOO兄さんは、あさから卵を二つも入れた味噌汁を
飲んでいた。」と話し出した。
「私とXX(末弟である叔父)はふたりでたまごひとつをかきたま汁だった。
あんたたちは街の学校に行ってて家の手伝いは何もしなかった。私とXXは
忙しかった。」と文句を言うのが定番だ。
祖母に「なんで兄さんだけ卵二つね?!」と聞くと「柔道ばしよるけん。。。」
と言われたそうだ。「元手がかかってるのよ。朝から卵二つよ。」
あんまり言うので最後には笑ってしまうが、柔道部主将の中学生と10歳の
女の子&6歳の男の子では、必要カロリーはそのぐらい違うだろう。
ただ叔母は、「ひとり一個ならまだしも」というのである。
腹が減ってもひもじゅうない ではないが、叔父には自分の親兄弟には話さ
なかった思い出がある。叔父は五島の祖父母の家を訪れ、祖母がでっかい握
りめしをにぎってくれて「それが涙が出るくらいうまかった、今までで一番
うまかったのはその握り飯だ」と妻に話したらしい。
私が大学院に通っている時、同期生にアラ還のおじさまがいたが、夏合宿で
教授と散歩しているとき、まるで漫才のボケトツッコミみたいに「農林一号」
「ズルチン」などと言い合って苦笑いをしていた。「みんな、知らんでしょ
う」と。
私の母が同窓会で同級生の一人に言われたそうだ。「Mさんのお弁当はい
つも白米やったけん。うちはうらやましかったとよ~」60代にもなってい
た母はびっくり仰天したらしい。私立のお嬢さん学校だったので、母曰く、
見栄っ張りの祖母が着物を全部売っても、朝と夜は芋を食べても、昼の弁当
には白米を持たせたので、当然同級生もみんな白米を食べていたと思ってい
たのだ。
そこで母が記憶の底から引っ張り出した話。
母のすぐ下の弟は海星というおぼっちゃん学校(三輪明宏さまの母校ですわ)
に通っていたが、弁当の白米の上に、びっしりとろろ昆布を敷くことを祖母
に頼んだということだ。祖母も母も、なんでそんなことをするのかわかって
なかったらしい。母は「白米だとわからないようにとろろを敷いたんだ~」
と泣いていた。
叔父は58ですでに急逝していた。
叔父の葬儀で、警察学校の同級生が弔辞をよんでくださった。
「警察学校では柔道の授業がある。未曾有の就職難でにわかに警察官志望に
切り替えた者の多かった同級生の中で、M君はいつも朝一番に道場で稽古
をし皆に稽古をつけてくれた。その時の黒帯姿がわすれられません。同期会
の旅行に次回からは細君を同行するべしと提案したのもM君でした」
叔父は自分が主将の時他校の補欠だった「佐田の山」が横綱になったんだか
ら自分もなれるといって、「栃嵐」などという四股名まで自分でつけて入門
する気まんまんだったが、出羽の海部屋で「出羽光」という四股名で相撲を
取っていたことのある仲父(母の次兄)が出羽の海親方に頼んで、どこにも
入門出来なくしたという。
叔父は仕方なく講道館で柔道三昧の高等遊民生活をしていたが、校長先生か
ら警察学校で試験があるから帰ってこいと電報が来て帰ったらしい。
母が叔父のことを、15くらいで白米の上にとろろ昆布をしいて、ひとにわ
からないようにするとは、えらいとしきりに褒めていると、その叔父のすぐ
下である叔母は、「でもOO兄さんは、あさから卵を二つも入れた味噌汁を
飲んでいた。」と話し出した。
「私とXX(末弟である叔父)はふたりでたまごひとつをかきたま汁だった。
あんたたちは街の学校に行ってて家の手伝いは何もしなかった。私とXXは
忙しかった。」と文句を言うのが定番だ。
祖母に「なんで兄さんだけ卵二つね?!」と聞くと「柔道ばしよるけん。。。」
と言われたそうだ。「元手がかかってるのよ。朝から卵二つよ。」
あんまり言うので最後には笑ってしまうが、柔道部主将の中学生と10歳の
女の子&6歳の男の子では、必要カロリーはそのぐらい違うだろう。
ただ叔母は、「ひとり一個ならまだしも」というのである。
腹が減ってもひもじゅうない ではないが、叔父には自分の親兄弟には話さ
なかった思い出がある。叔父は五島の祖父母の家を訪れ、祖母がでっかい握
りめしをにぎってくれて「それが涙が出るくらいうまかった、今までで一番
うまかったのはその握り飯だ」と妻に話したらしい。
私が大学院に通っている時、同期生にアラ還のおじさまがいたが、夏合宿で
教授と散歩しているとき、まるで漫才のボケトツッコミみたいに「農林一号」
「ズルチン」などと言い合って苦笑いをしていた。「みんな、知らんでしょ
う」と。
Posted by massan&junjun at 21:49│Comments(0)