2009年08月18日

子供のころの趣味(後)


じゅんじゅんです。

小学校の同級生には、大邸宅を居抜きで買って、医院だけ増築して

古い平屋と滝のついた庭なぞという不思議な家に住んでいる子もいて、夏

のある日、当時のこととて畳一畳分くらいの大型クーラーのどこだかをい

じると、庭の枯山水の滝から水が流れてくる仕掛けを見せられた。

「ふーん」という感じ。その子も変わってるでしょ?と見せてくれただけ

で、その枯山水に面した廊下に並べられた姉妹の勉強机をみせて、

「冬は寒いの」と言っていた。当時の暖房の主流はセントラル

ヒーティングでなければ石油ストーヴだった。

増築した医院の部分が平屋の方に食い込んでいて、玄関と食堂、応接間は

洋風になっていた。

応接間は8畳より狭く、ピアノと応接セットとステレオが置いてあった。

暖炉はなかったが、壁に鹿の頸がかかっていた。父親が北海道で撃ったも

のだと鹿ののどの穴に手首を突っ込んで説明してくれた。

祖父母の家に住んでいる同級生も多くて、遊びに行くと、おばあさまの

お眼鏡にかなわないと家に上げてもらえなかったりした。

その点、私の曽祖母がまだ生きていてお寺の御隠居さんだったので問題な

かったが、それでもそろばんやお習字などのお稽古に行く時間が迫ると、

おばあさまが離れからやってきたり、あるいは母屋から離れの子供部屋

(二段ベットと勉強机がむりやり詰め込んである感じ)に「OOさん。

お稽古に行く時間ですよ」と有無を言わせぬ催促にやってくるのだ。

遊びに行けば必ずおやつというものが出たが、おもたせのケーキはかならず

出され、お茶は、ママが紅茶を入れてくれる家、お手伝いさんがお茶を出し

てくれる家、子供たちだけで牛乳やコーヒー牛乳など各自好きな物を

買ってきて、おもたせのケーキと一緒に飲ませた家もあった。

おばあさまがお茶を持ってきてくれたことってなかったな。当時の子供の

地位がしのばれる。

お金持ちなのに「家には絶対遊びに来るな」といった在日朝鮮人の子もいた。

遊びに行くと、自分のアパートにはあげず、近所のマンションの最上階ワン

フロアーに住んでいる祖父母の家に案内する子もいた。

私はその家に正月二日、暇を持て余して遊びに行き、その子の伯父たちが

大勢集まる中、物怖じするその子を尻目に晴れ着で三つ指ついて正月の

ご挨拶をし、「よくできました」とお年玉をもらったこともあった。

家の設計の話からとんだところにそれてしまったが、私の趣味は人間観察

でもあったかもしれない。家も人も、いろんな顔を持っているから。


子供のころの趣味(後)



Posted by massan&junjun at 22:57│Comments(0)
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