2009年05月25日
ビザンチンの文化
まっさんです。
ビザンチン帝国とは、変わった国の名前ですね。もう滅んでしまった帝国
の悪口をいっても怒る人はいないでしょうから、つい言ってしまいました。
よくビザンツ帝国ともいいますよね。
この国は、コンスタンチノーブルを首都にして、アジアとヨーロッパの
中間に位置する立地条件を利用して、文化と貿易による繁栄を築いていた
のでした。
もともとは、ローマ帝国なきあとの東ローマ帝国により建国されています。
その特徴は、建築はドーム型の教会が特徴で平面図にすると、形状が十字
型になっています。
一方、インテリアでは、モザイク装飾が盛んに飾られています。
また、西ローマ帝国では、建築は平面図にすると細長い十字架の形状が
よく見られます。
西ローマ帝国は早い時期に滅亡してしまい、ローマ教会による支配が長く
続くわけですが、協会建築の荘厳さは立派な芸術の域に達しているのは
ご存じのとおりです。
バチカンに行った時に、歴代教皇のお墓が協会の中にさり気なくあるの
です。
日本人は、お墓とお寺は分けてあるのが普通ですが、ヨーロッパの宗教
との違いを感じさせられました。
下の写真は、東ローマ帝国末期の国章「双頭の鷲」です。今も、
コンスタンティノポリス総主教庁の正門に掲げられています。
今日はここまで。
ビザンチン帝国とは、変わった国の名前ですね。もう滅んでしまった帝国
の悪口をいっても怒る人はいないでしょうから、つい言ってしまいました。
よくビザンツ帝国ともいいますよね。
この国は、コンスタンチノーブルを首都にして、アジアとヨーロッパの
中間に位置する立地条件を利用して、文化と貿易による繁栄を築いていた
のでした。
もともとは、ローマ帝国なきあとの東ローマ帝国により建国されています。
その特徴は、建築はドーム型の教会が特徴で平面図にすると、形状が十字
型になっています。
一方、インテリアでは、モザイク装飾が盛んに飾られています。
また、西ローマ帝国では、建築は平面図にすると細長い十字架の形状が
よく見られます。
西ローマ帝国は早い時期に滅亡してしまい、ローマ教会による支配が長く
続くわけですが、協会建築の荘厳さは立派な芸術の域に達しているのは
ご存じのとおりです。
バチカンに行った時に、歴代教皇のお墓が協会の中にさり気なくあるの
です。
日本人は、お墓とお寺は分けてあるのが普通ですが、ヨーロッパの宗教
との違いを感じさせられました。
下の写真は、東ローマ帝国末期の国章「双頭の鷲」です。今も、
コンスタンティノポリス総主教庁の正門に掲げられています。
今日はここまで。
Posted by massan&junjun at 21:00│Comments(0)