2013年08月09日

シベリアが壺でした その2






じゅんじゅんです


昨夜は私としたことが 内容トン切れの文章をUPしてしまい申し訳

ありませんでした

トン切れの理由は。。。パソコンが壊れました

冬のボーナスの使い道がひとつ決まってしまいましたね

しかしあわてて次の機種を決定すると。。。前のほうがましだった な

結果になってしまうので しばらくノート・パソコンでしのいで慎重に

機種決定しましょうということに まっさんはバイオがいいというので

先日ちょっとパソコン売り場をのぞいたのですがなんかタッチパネルで

それはまあ試してもいいかなと思ったのですが 立ち上げ画面や

シャットダウン画面が現れるまでの操作がめんどくさい なんであんな

ことに? 電源入れっぱなしなのかな始業から退社時刻まで

そう 若い子はすべてスマホですますので いまどきパソコンなんて

オフィスか在宅勤務でしか使わないのかな~?

なんでもかんでもタッチパネル化はやめてよね 


そうだ 例の若いカップル(これが死語なのかな まあ通じるでしょ)が

途中で出て行った理由ですけど 夢落ちの繰り返しが 嫌だったかも

夢に逃げずに 現実を直視した もっとわかりやすい物語にしてくれって

思うかもしれないなあ しかし宮崎氏ははっきり 今回の映画で

戦争について教えようとか 昭和史を振り返ろうとか そういう考えは

いっさい捨てたと 言っていた

結果として 私には観やすい映画でした このくそ暑いのに マスコミが

八月になるとここぞとばかりに繰り返し流す大戦の映画や 原爆の

新事実や 特攻その他生き残り兵士たちの証言 八月のテレビから

第二次世界大戦と韓流ドラマを取り去ったら 宮廷の諍い女と

まつこデラックスに有吉君くらいしか残らんぞ あ あと西島秀俊(名前

あってるかな あ 風たちぬのパンフ見れば漢字わかるぞ)のCM

要するに8月には戦争を振り返る(われわれは学ぶ ですか しかし

亡くなった祖母や伯父叔父たちから空襲の恐怖や理不尽 銃後の

窮乏などは聞いているし 裸足のゲンだってマンガ読んだし

自慢じゃないが小学校三年生の時の課題図書は 八月がくるたびに

だった じゅんじゅんは読んだけども 感想文はアルプスの少女ハイジ

を提出した 当時から反骨精神の持ち主さ 同級生は課題図書の感想文

で文集に載り 担任の女教師はじゅんじゅんの文章も高評価だったが

文集には課題図書のほうが載りやすいのだとなぐさめた

じゅんじゅんは 感想文というものは万人を納得させる落ちどころが

必要で 感受性の独自性がもとめられているわけではないとなんとなく

わかっていたので 夏休み帳に詩を書けというページがあったので

ただ書いた詩が 文集に載ったが 3年生なのに6年生のページに

載ってしまったほうがショックだったので なんとも思っていなかったが

実際に課題図書の感想文を読んで怒りがわいたことを覚えている

その子は 怪談でも読むかのように 一人では怖いので 母親の背中に

自分の背中をくっつけて読む と書き出していたのだ

原爆は 遠くて恐ろしくて 怪談程度の他人事 って感じだ

原爆が落ちた時 空襲警報は解除で 母は 防空壕の外で近所の

おばあさんの白髪抜きをしていたら 突然突風の暴風がおこり 防空壕の

重い鉄の扉はしまってしまい 庭で遊んでいた5歳の叔父は庭木の

てっぺんに吹き飛ばされてひっかかっていた

その時祖母はやまのうえの畑(それも戦後のどさくさに取られてしまった)

にいて下の叔父をおぶっていて 畑まで祖母を探しに行っていた母の

妹は裸で泣きながらもどってきた(爆風で服がなくなったんですよ)

それでも原爆手帳はずっともらえず(翌日に爆心地へ入った祖父は

もっていたが)数年前にやっとそれらしきものが出されたが 年に一度かの

健康診断を受けられるだけらしい

まあそれらのことをうすうす話に聞いていた私が 感想文なんか書けますか

原爆を恐ろしいと感じるこころの根っこが違うぞ

おきれいな言葉でていよくコンパクトに感想文なんか書けるか!

しかし 課題図書を選ばずに文集に載るつもりなら 名分の羅列の中に

ちらりと愛嬌のある言葉が必要なのだ それが足りないから落ちたので

あって 課題図書尾を選ばなかったグループ内で負けているのだから

先生のなぐさめは つまらん言葉だと思った


さて「風立ちぬ」ですが ポール・ヴァレリーの言葉を堀辰夫が訳した

風立ちぬ いざ生きめやも これについても

文学部の修論ならこれだけで5枚くらい書けるわけですが

全編 生きねば ってこと以上のメッセージはないといっても過言では

ないのではないかと

特に名セリフも 名文句もない むしろ映像のきれいさに酔ってほしいです

じゅんじゅんの好きな映画は 名せりふの応酬 羅列の中に

愛嬌のあるセリフがちらり とするもの


すぐには出てこないが。。。。

たとえば 電話で脅迫された情報提供する男が

「わたしには女房も子供も猫もいるんだ!」と叫ぶとか

空襲で邸宅が焼けたと知らされたユダヤ人の教授が

「私のスーツは?絵画は?シュタイフの人形は?」 (くまもんの

シュタイフのぬいぐるみ 欲しかったな 限定販売にしないで もっと

注文取ってほしいなあ)

と取り乱すとか。。。


でも 風立ちぬ 観てよかったです ジブリは千と千尋の神隠し 以来

ですが映画館で観たの

ほかの作品もテレビでみていますが 風立ちぬ は 映画館で観て

よかったです

まっさんは なんだ最後は顔がナウシカになっている とかいってましたが

そんなこというなら 二郎の妹なんかまるっきり メイ(いくぶん上品)

 ですから

そんなのお蝶夫人とマリーアントワネットが二卵性双生児な少女漫画を

見てきたじゅんじゅんには許容範囲ですから~

トン切れを補おうとしたら 思い切り 散漫な文章になったな

ま いつものことか

シベリア ですが 祖母が好きでしたね

あまり脂っこくない カステラほど卵っぽくない 生地にあんこが

はさまれていて あんこはこしあんで 全体の周りに粉砂糖がかかっていて

あんこの甘さもしつこくない

私はシベリアよりも パンにくりーむがぬられていてウエハースで

はさんであるウエハスサンドがすきだったな

それらは お土産でいただくカステイラやシュークリームやショートケーキ

とはちがって 近所のパン屋さん(いまどきのベーカリーじゃなくて)

で買ってくる 家うちのお茶請け 軽い昼食 おばあちゃんの菓子パン

という感じ


話はもどるけど 風立ちぬ では おいしそうな食べ物はあまり出て

こない シベリアとクレソンサラダくらいか 

二郎と菜穂子が一緒に食事をした場面すらなかったのでは?

かれらが食べていたのは 夢であり未来であり生きている時間だったのだ

この映画には 笑いも 気の利いた諧謔も泣ける場面もない

菜穂子が再び高原病院に赴く場面でさえ 二郎の妹は泣いていたが

過ぎ去ったその時を見ていた観客は 彼女はやるだけやったと

思っただけだ(ばなな女史のキッチンの主人公がかつどんを届けた

あとひとりごちたように)

主人公の先輩が何度かいう 戦争の相手はアメリカですか?に対する答え

できゃしないがね が耳に残る

負けると知れている戦争をしたから悪いんじゃない

戦争することが悪いことなんだ

風立ちぬ には 門外漢のための前書きはない

関東大震災からじゅんじゅんの生まれた昭和36年までの間を

小学生として20歳の後家さんとして37歳の二児の母として

50さいで初孫を得て生き 55歳で定年を迎え 84歳で死ぬ数年前に

今が一番幸せだと話していた祖母が ぽつぽつ漏らしてくれた

記憶と体験 そしてじゅんじゅん自身の読書体験 それらの合築物が

 監督が親父の時代を描いたという そういう映画を 理解というよりは

享受する力杖になってくれたと思うのだ

シベリアを探すことはない その味は覚えているし 忘れることはないから






Posted by massan&junjun at 01:00│Comments(2)
この記事へのコメント
風たちぬ、やっと観ました。この映画は一種の幻想映画です。夢と幻想と妄想の境界がひどく曖昧模糊。登場人物さえ本当に存在するのかあやふやなのだ。そして最後に浮かび上がってくるのは人生すべて夢の断片、幻想の連綿でしかないのではないかというはかなさ。宮崎監督の最高傑作でしょう。これまでの諸作がこの映画のエチュードにしかみえない。ラストは滂沱の涙でした。(・_・、)
Posted by ふくひろ若旦那 at 2013年08月15日 00:26
この夏ほど 軽井沢の朝の冷気 木漏れ日の散歩道に響くテニスボールを
打つ音 昼下がり日向と木陰では体感温度が全く違う 川沿いの喫茶店の
テラスでいただくアイスコーヒー が恋しい夏もない

能の幽玄美 を大衆レベルと融合させる感じかな

泣いたりするのは ちがうって感じでしたが ひとりひとり心の琴線は違うから
なあ

車でサントラ聞いてます 
Posted by じゅんじゅん at 2013年08月23日 00:14
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