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2013年11月08日

贅沢貧乏は貧者の誇りか?!



じゅんじゅんです



なんか見ていて読んでいて カチンとくることがあり、その場で忘れ

るものもありますが、どうにも気になることを二つ



一つ目は、ミス・パイロットの相武紗季の髪型です。

なんですか?あの前髪ちょろり

キャビンアテンダント役の女優さんがみんな 規則道理のきりりとした

髪型なのに ださいいっちょ結びでさえ はああ?切れよって思うのに

片側長すぎる前髪ちょろりで顔隠してるってなんの意図?

配役決まった段階で 役作りもかねて髪型も打ち合わせてくれなくちゃねえ

背丈も髪型もほとんど同じの女優二人って配役も不満ですけども

最近の女優って なんで目玉がこぼれそうなほど目がでかいんでしょう

それも不思議ですけども

とにかく いっちょむすびの利点は顔に髪がかからないことですから

前髪ちょろりは せめてピンかぱっちんどめできりっと止めてくれと


まあこちらは軽いジャブみたいなもんですが

気に入らないこと二つ目は ある小説集の第一巻の巻名なんですけれども

「貧者の誇り」というんですよね

優雅なる冷酷 って副題の小説もあったが 

それにくらべても貧者の誇りって 芸がないというか

しかも その巻に収められている小説のひとつが 森茉莉の

「贅沢貧乏」なんですよ

もちろん 森茉莉が「贅沢貧乏」を書いたころは はた目には

赤貧あらうがごとく であったということは語られていますがね

季節でもないのに 網の手提げを下げていて 室生犀星が

おんなひとが持つ ハンドバックというものも持っていないらしい と思って

ひとつお茉莉に贈るんですけど そうすると 子鬼のようになって泣きました

という葉書が来るのでは閉口だったろうとお茉莉自身が書いている

中身は皮肉に読めばそれは 究極の強がり ではあるだろうが

お茉莉が「わたしは卑屈になることができない質だ」というように

けして貧を誇っているのでも まして貧でも誇りを忘れんぞと

言っているのではない

彼女は困ったふりしているのではなく本当に困っているのだが

ただ困っていても卑屈になれない質のせいで威張っている感じになるのだ


まあ私にも覚えがあるが 物心ついてから半世紀ほどもお金に困らず

育ってしまうと まして出戻ったり 病気療養したり ニートだったり

いろいろの理由で規則正しい生活をする必要に迫られず ひとからも

非難されずで暮らしてしまうと 自分の時間も空間も 自分の仕切りで

仕上がってしまうので 花瓶の花は枯れてしまっていてもそれが美しい

とか(つい先日 芥川賞作家もそんなことを言ってたな しかも昼夜逆転

で書くとも) ベッドにかけておくタオルの色合いの順番とか

ベネチアンガラスなんかではないお気に入りのガラス瓶たちを愛でるとか

新聞の山や週刊誌の山がベッドの脇にうずたかく積まれる とか

とってもわかるのだ

お茉莉は裁縫の先生とけんかして小学校を変わるくらいだが

セーターに穴が開いてもかがれないので川に捨てに行くという描写が

あって 燃えるゴミの日に細かく切ってどうどうと捨てられる現代で

良かったと思う 私が子供のころは手編みのものならとくに ほどいて

あみなおすか 穴なら周りの毛糸で都合して穴をふさぐとかして着る

ものだった 

とにかくお茉莉は謙遜しているか自慢しているかと言ったら

断然自慢しているように威張って書いているから誤解されがちだが

文章を飾っているのではなく 文体が豪奢なのであって

自分の生活をそのままに描いているに過ぎない

ただ洗濯物を素手で絞る自分の姿を ラーコンの彫像になぞらえる

文化的素地が体験としてあるだけだ

パアパとフランスの話はもう承りました と 直に聞かされる立場なら

私もそういっただろう

祖母の兄嫁は 実家の裕福自慢しかしないひとだったが

しかしその実家は本当に裕福で 門に六畳間があってそこに疎開したとか

戦後甥が商売を始めたら 繁盛して 観光バスが来るだけでなく

高円宮夫妻まで来たとか 数年に一度は内容が更新するので

面白かった お茉莉よりは八年くらい後輩で 今のお茶大を出て

裁縫を教えていたひとだったが そのかわり文才はないのだ

そのひとのお話を 足かけ10年くらい聞いた

そして彼女が話さない話を 母や祖母から聞いた

私に文才があれば朝ドラの二本や三本かける道りだが

やったるで精神なしに 小説をものにするってできないなあ

お茉莉のかくものって純文学じゃないしなあ

私小説でも大衆小説でも分類したところで浮きまくるだろうが

贅沢貧乏は 中でも純文学ポイ それでいてエッセイぽい 不思議な

小説で これも小説なのかなって感じ


今 ごちそうさん をみていて 通天閣が 実家が複雑だと言っていて

わくわくして待っていたが どこが複雑なんだ という感じだ

お茉莉の一生が朝ドラになったらそんなもんじゃない

なにせ嫁入りした家には 舅に花柳界上がりのお妾もいて 夫の姉夫婦

二組が三日に空けず夕食に来る 未婚の弟ふたりに妹ひとり 

女中たちもいるし

姑が死んだ部屋や 夫が小間使いに手を付けて子供を産ませていた過去

などなど     

 嫁入る前の実家でも そもそも母親が後妻だ

有名な鴎外の母や 妹(星新一の祖母) 弟たち

その弟のひとりが缶から菓子をくれたが惜しがって次をくれないので

盗んだところ 鴎外に言いつけられ 鴎外が「泥棒もお茉莉がすれば

上等よ」といったことなど 森博士の家でも有名な先妻の子である兄

夫のフランス留学についていった 子供二人を置いて離婚した

再婚した先で 三越も帝劇もないと嘆いたら騙されて実家に帰された

そんなこんなで出来上がったお茉莉が こんなのでも小説になるかと

書いたところのものが贅沢貧乏なのであって

貧者の誇りなんかではないのだ

だいたい矜持ならわかるが 誇りって何だい?

勇者の誇りならわかるが


お茉莉は 威張った感じに書いてるように見えるが その文体は

ふてぶてしくも凛々しい 彼女のたたずまいそのものだ


金を使ってやる楽しみには 本当の楽しさはない とお茉莉は言っている


それは負け惜しみでもないし 貧者の誇りでもない

ホンマでっかで池田先生も披露していたが 本当に楽しい旅行は

お金があっても時間がないか 時間があってもお金がないか

そのどちらかだ とうことだ

人生が旅であるなら お茉莉がいうようにお金を使ってやる楽しみには

本当の楽しさはないだろう


お茉莉の言う贅沢とは 金を使ってする楽しみではない

消費税が上がるからと言って 欲しいものを買うというのは贅沢ではない

必要なものを何時でも買うのが贅沢だ

損をしないように何時でも考えているというのは 贅沢とは対極のことだ

お茉莉の考え出した贅沢貧乏というのは多分に精神的なことである

分に過ぎたおごりも  心のおごりである

金をかけるのではなく 極上が手に入らなければ脳内補てんすると

いうことだ

パリの小道のサロンドテのプチフールが手に入らなければ

自分でチョコレートを削った上に砂糖をかけるという芸当もこなす

貧乏サバランでもあるお茉莉の面目躍如たるところが この手作り

プチフールと あればあるだけ食べてしまう板チョコを毎日一枚づつ

買いに出かける というところだ

誰のためでもなく 自分の中の貧乏サバランを慰めるためにする

奮闘パティシエぶり ぶらぶらお買い物 これぞ贅沢

別にお茉莉は自慢でも得意でもない

大みそかの婚家でも なにも手伝わず小姑と羽根つきをしていたが

それはなんでも心得た花柳界上がりのできた姑と 女中がいるので

することがなかったからであり

ひとりになれば 真夏は日陰と喫茶店を駆使して銭湯にも通うし

ジャー(電子ジャーでなく内側がガラス製で氷を入れて使う 少し大きいが

実家の屋根裏に二つあって あれをワインクーラーに使うとかっこいいと

思うが置く場所がない 広いテラスなどあったら あれに氷を入れて

飲み物と果物を冷やして 読書の友にできるのだが)に冷やした

トマトや肉を使ってスープなどもつくるお茉莉なのだ


ああ どこまでが贅沢貧乏に書いてあったことだったか

実家に行って 贅沢貧乏の文庫本を持ってこようかな

とにかく お茉莉が死んでしまってからじゃ 小説全集みたいなものに

一巻目に載っても お茉莉に印税は入らないし 生きてれば鴎外は

二巻目なのに一巻目にのったと喜んだかもしれないな

それでも 貧者の誇り とか分類されたら 怒りのマリアになって

罵ってくれたでしょうね


この巻名でよろしいでしょうかという断りもなく とかなんとか

代わりに怒りとぼやきを続けたいけれども お目汚しになるし

エネルギーが尽きるし 語彙が爆発しない今日この頃

ボケ防止脳トレでもしなくちゃダメでしょうかね

お茉莉は年なので転ぶと 大丈夫ですかといわれるが

六つのころからこうなんだと怒っていたが

70すぎてもドッキリチャンネルを称して もうとしなのでこういう

軽いもので終わりたい というくらいの頭は持っていた

あやかりたいものです







  


Posted by massan&junjun at 01:09Comments(0)