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2013年05月15日

来月から三ヶ月間と今年から5年間について考える





じゅんじゅんです



来月から3ヶ月間 減量とスペイン語の勉強をしようと思っています

そして10月にはバルセロナに行きたいです

11月には母を京都にでも連れて行きたい

というのも来年から大殺界なのです3年間

年齢的にも53.54.55の三年間 岸恵子は50代が一番よかったと言っていた


だいさっかい を信じているのかと聞かれたら 用心していると答えよう

今から12年前のだいさっかいは 41.42.43の時だが 何をしていたか

さっぱりおぼえていない 平成14.15.16年くらいですよね

甥っ子が平成10年生まれ 結婚したのはその翌年の平成11年

ですから。。。ああ 平成14年は大変でした 正月明けにタンパク尿で

私が入院 暮れから血糖値が上がって入院していた舅を長期療養型

病院に入院させる手はずは整えていた(雪の日の涙の面接 忘れません

わ) 入院中に伯父が徘徊してパトカーで送られ 舅は肺炎になり

二週間ほど転院が伸び まっさんは土曜日の午後しか見舞いに来てくれ

ず 一か月でタンパク尿はおさまり 体重も6キロ減って退院したが

伯父の認知症は高じていて ある日脳出血を起こし入院したが

高酸素療法というのをやって 意識が戻り 寝たきりのまま生きることに

なった 寝たきりと言うのは 用語的に言うと 一日ほとんどをベッド回り

で過ごすということだ

退院後3ヶ月もすると 転院してくれという話になり 舅が入った

病院に連絡すると(まっさんにしてもらった 会社から 私は病院の

相談員が見学に行けという病院や施設を 一切断り 半月以内には

入れると豪語し 待ってもらった) 入れることになり しかもわがまま言

って 舅と二人部屋は厭だと断ったが それで不利になることはなかったな

半年二人部屋にいれば その後四人部屋に移れると言われていたが

舅は半年を待たず出されてしまった(そういうこともあるので父の場合

二か所から返事が来たので 一か所は待機リストに入れてもらった)

伯父は3年二人部屋にいて その後4年医療室(3人部屋)にいて

亡くなった その日に姪っこは生まれ。。。平成15年は正月に無くなった

舅の 葬式 49日 新盆 11月末には1周忌

11月上旬には新婚旅行以来の海外旅行にも行きましたが

それが今のところLast海外旅行です

平成16年はやはり11月に前倒しで3回忌法要をしました。。。

あ 平成15年の3月に弟が離婚しやがった

舅の葬式の時には 父と弟が来てくれたが 離婚の後すぐ 父が

脳梗塞を起こしたんでした 幸い軽かったが 首の動脈硬化が進んで

いるから 年々 脳血管性の痴呆が出てくると言われたんでした

平成16年って7年前だから 私は45歳でしたね まだ生理は

あったけども 隔月でしたね 婦人科に駆け込むべきでしたが

それどころじゃなく むしろ不順が都合がよかったんです 忙しくて

で 翌年半ばに 4カ月続けてこないので ホルモン検査して

確定診断でました

ねえ? 大殺界でしょう?


24年前は 53-24だから。。。29歳ですね 29.30.31か

28の年大学院を出て 就職したが 29の時辞めました

30のとき 一年間ジャスコの研究所に勤めたが 部署が無くなって

営業部になったので 31で辞めて 31の時税理士講座に通ったが

祖母が認知症に。。。こればっかりだな

祖母の場合は 脳梗塞で入院 ということはなく ただ子宮がんの

大腸転移という状態で手術して 大腸には触れず閉じて ステージⅢで

ああ 24年前は 大殺界終わってからの方が大変でしたね

女の厄年 34で 子供を産むといいと言います

実はラストチャンス!という掛け声だと思うんですが だってやっぱり

妊娠しにくくなるんでしょ そうすると昔の35からは〇高(本当は

丸の中に高の字のスタンプ)は よく妊娠できました の判子みたいな

ものだったってことよね むしろ他の同年齢女性よりも いやよそう

とにかく その年で 祖母をつれて 病院 老人保健施設 自宅

消毒液につけられ重くなった洗濯ものを抱えて 何度も何度も

同じ道を タクシーに乗っていた 

あの時 多分子供はうめないであろうということ

そしてけして介護で下の世話はしないぞ ということを覚悟した


その前と言うと」17.18.19ですか そもそも19は女の厄年なんですが

浪人しましたね。。。

あ この時も大殺界終わってからの方が 大変だった


たぶん だいさっかいの過ごし方が いけなかったのだ

準備不足だったのだろう

浪人なんてまさにそう ちゃんと17.18で勉強しておけば たとえ

一浪しても その次には合格しただろう

29.30.31のときも やりがいのある仕事をしているか 結婚して

妊娠していれば 祖母の介護に どっぷり浸かることもなかった

ただ母が定年を待たずに早期に退職しただけだ

あるいは 母の給料・貯金を注ぎ込んで 有料老人ホームに入れる

選択もあっただろう


祖母が死んだ時33だったか 亡くなる2週間前までトイレに誘導して

いたが ある日 もう嫌だ といって体を廊下に投げ出したので

支えていた私は 腰をしたたか打ち ぎっくり腰状態になり

それから二年以上 坐骨神経痛になり 長く座ってることができず

映画も見られず 勉強もできず な状態が続いた


介護保険制度もまだなく 痴呆のひとを自宅介護していると 申請

すれば月に一万円もらえるとかいう制度があった 申請したが

一回もらっただけで 祖母はなくなった

そのとき年金は死んだ月の分までもらえ 日割りではなく月単位だと

学んだ

日割りにして出し入れするほどの金額でもないんだろう年金なんて

祖母など 月10万くらいだった 週に2万5千円か

母が祖母のことを ひとりでは生活できない人だと 言っていたが

その言葉はそっくり 母に帰ってきている


父は自分の年金で特養の費用と 実家の光熱費くらいは出している

母の食費 医療費 固定資産税 保険など 母の年金だけでは

足りない 貯金を切り崩していくことになるだろう

それは父が生きていても 死んでからも同じだ

家や土地を処分して シニアマンッションに入らなければならない

かもしれない あるいは弟が実家をリフォームして 2世帯で住むか


とにかく今年は 減量と語学と海外旅行だ

来年からの3年~4年間 何かまとまったことをしたいとおもう


5年後にまっさんが1級建築士に挑戦しているかもしれない

先日 甥に 良い老後の趣味ができましたね とからかわれていたが

そうなってもいい もう20年くらい 健康で 人生を楽しんでくれれば


じゅんじゅんが死んだら おれはおばさんが入っているような

高級有料老人ホームに入るぞ とかくらいの軽口は何度でも

許すからね  


Posted by massan&junjun at 02:46Comments(2)