2013年03月21日
会いたいのは今の彼ではないのか
じゅんじゅんです
甥っ子が 県立M高校に合格しました
実は14日の合格発表も待ち切れず 御祝を送ってしまいました
彼は3/25が誕生日なので その日に着くようにして まあ保険をかけて
しまいましたが 試験は水ものですのでね
で 14日の正午前に メールがきました 母と弟と私とに 一斉メールです
さすが「おまえ 相手を救う気は満々なのに 気遣いする気はないんだな」
の 牡羊座 です
文面も M高校受かった の一行ポッキリ
すぐに I am proud of you. よく頑張りましたね と返信した
発送済みのお祝いの品に加え 奮発して御祝も送ろう
(私立をけるので 奨学金も出ないしね)と思っていたら
金曜日に 浅草にくるという
TT線の改札で待ち合わせると言われても。。。
行けませんわ
体調が悪いとか 足が痛くなったり 突然歩けなくなったりしないために
杖をついて歩いているので 街中を歩くのが苦手だ とかいろいろ
言い訳はあるが。。。
な~に じゅんじゅん 力さえ入れりゃ 朝起きて入浴しておニューの
ワンピ着て タクシーで浅草までぶっ飛ばします
しかし その力が入らない。。。
顔を観たいという気持ちはあるが。。。話すことがないのよね
っていうか 今一番 話をしない年頃でしょ
で 一緒に会うのが 年に2度は会ってるのか?っていう父親と
話しだすと止まらない ばあさま(母のこと)でしょう
じゅんじゅんの出る幕はないのよね
ことしはもう M高校に合格してくれたことと
はぎわらさくたろう 漢字で書ける? に
たぶん 萩原朔太郎 って 返信が来ただけで満足よ
M高校 合格してねって 気持ちが通じたと思うから
とにかく 甥っ子が合格してくれてないと 地元の高校でなくて
少しでもいい高校に挑戦すればよかった それがじゅんじゅんの悔い
ですと 手紙に書いたりしてきたからなあ
挑戦だけじゃダメなのよね 合格しないとさあ
とんだミスリードにならなくてよかった
もっとも 甥っ子には まっさんより三つくらいしか年取っていない
おじいちゃまがついていて 発破をかけ続けたから(たとえば定期試験
総合点が400点以下なら塾!とかね 一度は402点でセーフだったと
メールが来てた)
今回の受験も 私立のすべりどめで奨学生になったので
地元高校より だいぶランク上の高校を受験することになったもよう
弟に M高校を受験することになった なんとかするよ と
一行メールが来ていた
なんとかしたんですね!
5歳になる直前に 親が離婚して 彼は母親とともに母親の実家へ
そのころまで 彼は一日中おしゃべりしてるようなこどもだったのに
別れて群馬へ行く前に 伯父が長期療養病院に入って 母が連日の
ようにお見舞いに行っていたのに行かなくなると
「おじたんは 一人でご飯食べれないのに だいじょうぶなの?」と
心配していたので 彼を連れて お見舞いに行った
病院の入り口で 「ほてるみたいだね!」というので
まあ あなたホテルも知ってるの?(グランドホテルに連れて行って
食事もしてたし おじいちゃんたちと旅行にも行ってたんでしょう)
と 笑ったりしたが
帰りに ここならいいよ と言っていたので 心配したまま母親の実家に
行かせることにならなくてよかったと思ったりしたが。。。
五月に父が初孫のために買った鎧かぶとを 置いて行ったので
それを車のトランクに入れて 甥っ子に届けたりした
2カ月ぶりに会った彼はもう 幼児というより 少年だったが
母親の実家を ここはせまいよ おれんちの方が広いんだあ と
言っていた 母親が車の免許を取ったら 帰ってくるとまだ思っていて
もうちょっとで 免許とれると思うよ といっていた
今日は泊るの? 屋根があるとこ?と心配してくれた
キャンプ場ではなく 旅館に泊まると言うと 安心していた
途中の 道の駅のようなところまで 2台の車で行き 近くの川で
一緒に遊んだが 別れる時 後ろの座席で後ろ向きに座り
体が小さいので 乗り出すようになって ひじをついて ずっと
ゆっくり手を振っていた
わたしはその姿が 見えなくなるまで立って手を振ったが
見えなくなると視界は涙でくもってしまった
まっさんは驚いて なんで泣くんだ
まあちゃんは泣いてなかったぞ といった
私は 甥だから可愛いのではない 彼だから可愛いのだ と思っていた
親が離婚しようと 父親が父親であるように 彼も甥にはかわりない
しかしその時の まだ「おれんち」に帰るんだと思っていた彼
保育園の先生に みんなはこのまま全員OO小学校に行きますと
説明されたとき 「僕は違います」と言ったという彼とは
そこでお別れなのだ
次に会うときには 彼はOO小学校に通っているだろう
私の実家は 彼の「おれんち」ではなくなってしまうのだろう
なにより やさしくて かわいらしくて やわらかくて おしゃべりで
泣いたり お風呂上がりには 頬が真っ赤になって 美しい男の赤ちゃん
になっていた 彼はもう 永遠に失われたのだ
私は 失われたぬくもりに涙した しかしその涙は 彼にはかわりに
若い祖父母がそばにいるという安心感で 冷たくはなく ただ
辛かった
だから いざ 行けば会える という段になると 躊躇するのかもしれない
会いたいのは 今の彼ではないのか?
順調に 背も高く 偏差値も高く 育っている彼に会いたくないわけではない
去年 中学二年生の彼は 細く長く 幾分 神経質そうに見えたが
表情の中には まだまだ おさないころの面影があった
今 携帯の待ち受け画面の写真は 彼である
写真を送ってと言ったら 今時の子ですね 写メール ですよ
一行 少し恥ずかしいよ と
浅草に来るというのは 一斉メールではなく弟にだけ来たメールか
弟が電話したんでしょうか
甥っ子にすれば 父親とだけ会うにも 十分ではない 正午から
17時位までの時間です
じゅんじゅんは遠慮しましょう
そして御祝には M高校の制服着た写真を送ってねと カードを
添えましょう
今度は写メールじゃない方がいいけど どうでしょうか
使わなくなっても家に置いてあった黒電話で 伯父は甥っ子に
数字を教え もう あいうえおは言えるのか?と聞いた
甥っ子は かきくけこ と答えたそうだ
次に私が会った時 たちゅつてと と彼がつぶやいたのを聴いて
まあ すごい もう たちつてとも 言えるのね!と誉めたら
じゅんじゅんが あいうえお くれたじゃん!と 言われてしまった
あの 50音順積み木 持って行ったみたいだけど
もう 手元には ないのよね きっと
弟夫婦はお酒を飲まなかったので 母がボウリングの商品にもらった
ウイスキーを 甥っ子が これじゅんじゅんが持って帰ってって と
抱えてきたことなど 思い出す
亡き舅がお小遣いにくれた500円玉を そのまま私にほいっとくれたと
思うと その数ヶ月後には お札のお年玉を 「これはいらっちゃいませ
にちゅかうからいるの!」と 硬貨と変えることを拒んだことなど
その時にはおしめをしていたが ずっとお年玉とお誕生日に
5千円を渡している
高校生になったので 値上げするべきか?
とりあえず今回は 御誕生祝いと合格祝いのWということで
先のことは気にせず 多めに送りましょう
Posted by massan&junjun at
01:27
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