スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2011年02月05日

児玉 清 氏

  
じゅんじゅんです



きのう まっさんは 免許の更新に行きましたが 優良運転者じゃなかった

もので また3月に講習に行かなきゃならないそう。

そしたら今度は 5年後更新になるらしいです。

私は 平成26年に書き換えです

それまでに。。。痩せたい 2重あごだけでも何とか。。。

しかし脂肪は 肝臓の周りの脂肪 内臓脂肪 皮下脂肪の順に落ちるん

だそうです。道は遠い。。。



さてさて 来る2/26公開の「キングズ スピーチ」

楽しみにしてるんですが 私は公開初日に観られるか !!あ 地震

地震情報は日本テレビが速いんです 第一報はね

日テレの地震計が震度2ですって たぶん横浜の方が揺れたな

出た 千葉震度4 神奈川県は震度3 あ またちょっと揺れた

続きね 微妙なんですが 初日に観ないと アカデミー賞の結果が出ちゃう

この日本の公開タイミング 最低でしょ!ゴールデングローヴの受賞式前

に見せてもらいたい!

どのくらい この宣伝部が腰抜けかと言うと 歌舞伎役者のコメントに

頼ってることでもわかりますね 腰抜けと言うか 映画ファンを

コリン・ファースのファンを舐めてるとしか思えない!

どうせアカデミー便乗商法なら シングルマンをもう一度ロードショー公開

してみろよ全ららぽで!

限定公開しかしなかった癖に!2/26から二番館で上映するという

その根性が気に食わん!

絶対 減量達成して ブルーデイで視てやるぞ!

それも思う壺か。。。どうせ公開中に六本木ヒルズまで車飛ばせなかった

根性無しですよ ふん!

まあ 近親憎悪だな 根性無し同士の。

歌舞伎役者に頼りたいのもわかる。最近 スキーと同じで 映画館に

集うのも 夫婦50割引き族が 大半なのだ。

若い世代は 字幕版より 吹き替え版をみる。字幕読むのが

面倒だから、だそうな。

しかし「英国王のスピーチ」ですぞ!コリン・ファースの声!ですぞ

吹き替え版なんか ねえ。。。

まあ腰抜けなりに(まだ言うか!)良いところに目を付けたなと。

でも 児玉 清氏を起用するセンスの良さなら もうちょっと何とかと

思うんですよ。

児玉清 は ありがとうシリーズで 三三九という焼鳥屋のケチな兄貴

を演じているころから見ているのだが ここ数年 爺さま萌えな私の

好きな感じの 老紳士になってきている。

児玉清で「えいこくおうのすぴーち」?児玉清と言えばNHK

ダークエイジ・ロマン「大聖堂」だろ とお思いのあなた

大正解 今からその話も致します いえ ドラマの宣伝はNHKにまかせた

NHK ブライツヘッド再び も再放送しろよ~ 篤姫はいい加減

しつこいぞ 「江」の宣伝も多すぎるぞ そもそも大河60周年記念に

なんで「江」?という中村うさぎのいちゃもんに万歳三唱。

あ 児玉清 ですが 呼び捨ては 三津五郎 とか 中村や

てのと同じ 名前がそのまま尊称ですから さんとか氏とか

つけるのは 対人関係のある人だけがすればいいこと 私は直接会った

ことすらないので この流儀で行きますよ。

で、「大聖堂」がどれほど面白いかを 児玉清は 3冊の「大聖堂」で

表現して見せたのです。

つまり 読み始めたが海外に行く仕事があり 荷物に入れようか

悩んでいたら  奥さんに「馬鹿じゃない?」

と言われ 置いて行ったが 飛行機に乗ったら続きを読みたくてたまらず

しかも 次々と海外に行く仕事が続いて 結局 英語版 ドイツ語版

フランス語版(もあったかな)と買い継いで読み続けて読了した。

えと この上のところ訂正します 米国版 英国版(装丁が素晴らしいと)

独逸語版 でございました。今日 スタジオパークに出演されてて

また同じことを言わされている氏。 視聴者としては 書庫の公開が

目新しく しかしさもありなんと楽しかったです

見学の若者が「THE 紳士」と評していました。うん 老紳士より

その方が いい。(でも 爺さま萌えの対象と言うのは ただ老人扱い

してるわけではない。さぶりどん。三国連太郎。に並ぶということで、

栄誉なんですよお と 陸の孤島で吠える私 ははは)

いやあ 堪能した面白かったと。

そして 映像化は不可能じゃないかと思ったと。

この点 さらに言及していて 映像は素晴らしいが ストーリーの

方で ちょっと満足できないところはあると。

いいなあ そうですよ お追従がかりじゃない ちゃんとした

批評精神を堅持してこそ「THE紳士」見学の若者も それは満足

したことであろう。

各国でベストセラーになったこの物語 原作者は 何度も映画化を

持ち込まれたが この大力作が2時間ちょっとの映画に収まるわけがないと

断り続け とうとう リドリー・スコットで テレビシリーズで映像化

ということでやっと許可を出したと。

氏が(おいおい呼び捨てじゃなかったのかい でも自然につけたくなる時は

つけるにやぶさかじゃないのです 山崎努様と児玉清氏は例外だな)

学習院の独逸語科の出身で 同級生の篠沢教授がフランス語科の教授

になったように 自分もなりたかったので篠沢教授が羨ましかったという

話を聞いたことがある。

しかし 院へ行くことが事情で出来ず 将来に鬱々としていたときに

あの男前で あの身長なので 俳優になるべきだと

いわば周りにレールを敷かれて俳優になった という人物なのだ。

なんとなく現代でいえば 向井理 みたいだ。

昭和のタイプと平成のタイプの違いを感じるけれど。

で そういう裏話を知ってる私は 独逸語版で読むのは氏にとって

もしかすると英語版で読むよりも楽なこと かもしれないと思うし

(この後 削りますよ やっぱりフランス語版では 無かったので)

。。。 語学ができる人はいいなあ

話せなくても 読めるだけでも 世界が豊かに広がるよなあ

バイロスの画集だって 英語版や独逸語版で読めたら バイロスが侯爵か

単に卿かくらい すぐわかるんだろうなあ とか思ってしまった。

しかし 他の視聴者は どう思うんでしょうか いきなり宣伝係に

なんか若いアナウンサーと自慢話かい?って感じで児玉清氏が

出てきたら。

さかんに番宣を打ってるが 映像を見せるだけ。

ダークエイジについて歴史的知識や興味のないひとを 映像だけで

惹きつけられると思っているのかね。

リドリー・スコットだって映画初監督はハンガーでしたっけ?

デヴィット・ボウイとカトリーヌ・ドヌーヴとスーザン・サランドンが

ヴァンパイア あ ネタばれ禁止か

しかし 監督の名前だけで 日本では無名に近い二人の女優がヒロインの

テレビシリーズで大宣伝だけで視聴率が稼げるとでも思っているのかね?

ダークエイジについて リドリー・スコットについて「門外漢の為の前書き」

的な番組くらい 作れないのかね?

さすが皆様のNHK この際 原作本の売り上げと リドリー・スコットの

過去の作品のレンタル率も上げちゃるぞ という「一緒に儲けようぜ」

という気持ちが皆無なのね。いやあびっくりした。

「大聖堂ブーム」が日本にだけ起こらないのは 日本人の歴史的教養が

ヨーロッパに比べて落ちるからだけではない(いや 確実に低いとは思うが

日本人にはバカンスもないしな 枕みたいな原作本に喜んで手を出せる

環境がないのは事実であるよ)

NHKにさえ 視聴者を開拓しよう 育てようという 気概がないからだ。

NHK総合 NHK教育 NHKBS1 2 ハイビジョン

5チャンネルも放送してるが 連動して皆様のNHKする気は無いのね。

一回作った番組を ぐるぐる回すための5チャンネルらしいよ。

やっぱりテレビって 国民の白痴化にしか寄与してないのか

池上さんのように 「なんでもかんでも池上さんに教えてもらえば

いいってもんじゃないんだよ」って毒舌キャラのネタにされだす前に

3月いっぱいでテレビ出演を絶ち 本業に戻るという池上さんは(今度は

さん つけてるよface08 )やっぱり正しいな。

テレビって 楽して使い切る 間違ったエコ的ひと使いをする

視聴者を舐めてる 機関であるのだよ。

だから上手に 利用しないとね。

児玉清氏も NHKは 困った時の児玉清 的に 使い倒し始めてる気が

します。児玉清氏は賢いから NHKごときが用意する使い方で

教養を擦り減らされるほど薄い人物でもないが それに 児玉氏の

ハイブロウなダンディーぶりに 見合う番組もそれほど作れまいから

池上氏のように 身を隠す必要はないと思うが

児玉清氏が使い倒されてもおかしくないほど 視聴者はハイブロウな番組を

求めているのだが 制作側に気概がないのと 視聴率を気にしすぎるのと

東大でだか知らないが制作側に「教えてしんぜよう」式 の

上から目線の それでいて門外漢のための前書き一つ書けない 

まして専門家の為の前書きをかく気概も視聴者への尊敬もない姿勢からは

求めている番組は 得られない と思っている。

まあ期待は これからのドラマ制作 にではなく

過去の大河ドラマの 奇跡的に残っていたフィルムの 修正デジタル化?

での映像の再現放送に 一直線に注いでいますよ。

児玉清氏の話をもっとしたかったが 爺さま萌えの条件としてひとつ。

若いころ 中年期は 才走ってるところとか エネルギッシュなところ

などが むしろ鼻について 嫌いな感じであったりしたひとでも

年を取って 油が抜けて 自らの教養がにじみ出るようになった頃

その人の良さが 年輪を必要としたのだなと思わせるようなひと

スタイルのある人 が私は好きだ。

スタイル は 若くても持っている人はいるが かなぐり捨てなければ

生き残っていけないときがあるのが人生であり 爺さまにはもう

かなぐり捨てなきゃならないときは 来ないということだ。

 

  


Posted by massan&junjun at 12:21Comments(0)