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2010年10月09日

森 博士 の家 



じゅんじゅんです

清家清作 有名な 森博士の家の図面と写真です



ここの居間で 博士の弟の類が 「本当の兄さんだったら

ずいぶんいい兄さんだろう」とか思いながら座っていたのね

なんて考えたりして。

本当の兄さんじゃん?!ママは違うけどさあ と子供な私は思ってたが

やっぱり兄弟らしく ごっちゃに(うまく言えないが)育てられてないと

遠慮が親しみを凌駕してしまうよなあ と今は思う。

平屋?!こんな狭い家で「5人の学士を育て上げ」たの?

なんて 思いこみかけたけれど まっくす とむ れお はんす じょーじ

の5人は 鴎外の孫で 曾孫の由利亜教授(男性 茉莉のエッセイ上の

偽名かと思った というのは嘘ですが)が生まれたのがこの家の

完成年とさして違わない年ですから たぶんこの家に住んだのは

博士夫婦だけじゃないのかなと。

そう思ってみますと 豪華旅館の離れっぽい間取りと見えなくもない

隠居所っぽい雰囲気も感じる

廊下がサンルームや濡れ縁(硝子戸の中だから濡れないが)

を兼ねていて庭にすぐ出やすくなっている。

清家清氏の建築の基礎をなす思想には「方丈記」があったそうで

自然を感じ自然に溶け込み 家具や荷物少なく 知的に整然とすむ

ということを前提に建てられている

つまり、住む人を選ぶ。

この森博士の家と斎藤助教授の家と清家清の家(父君の隠居所として

建てたが畳の部屋がなくて父君に拒否られたため自分が住んだ)

三つの家はトリオのように紹介される事が多いようだ。

斎藤助教授の家と清家清氏の家には移動式の畳がおかれていた

森博士の家には 二間続きの和室がある。

鴎外の家 観潮楼も時代柄畳と廊下の家だが 観潮楼よりずっと

整然とした簡潔な間取りに 鴎外と森博士(於兎 寅の別名ですと 

寅年生まれだから名付けられたので欧州かぶれ一辺倒でつけられた

わけでもないのね もちろん 林太郎よりも発音しやすい名前という

意識では選ばれたと思う)の性格の違いもみてしまうなあ

従二位勲一等功三級医学博士文学博士の鴎外の内面の複雑さが

観潮楼の継ぎ足し継ぎ足し建てられた間取りに現れたように感じ


この森博士の家の 現代の私たちの エアコンや一人に一台のテレビや

ベッドや大量の衣服や持ち物がけしてきれいいは収まらない

であろう様子に 於兎氏の鴎外の医学博士の部分を簡潔に受け継ぎ

全うした潔さを感じる。

もはや現代人はこのような潔い間取りには住めないのか?!

家は簡潔に あとは住む人の想像力にゆだねる。

清家清氏は長身であった。少なくともそう見えた。

黒沢明監督もそうだが、巷の凡人を睥睨するような高みから

自らの作品を下してくれるような芸術家が、私は好きだなあ。

いや個人がではなく、その作品が、ですが。

この森博士の家の図面を見るたび 片づけなくちゃ

持ち物も頭の中も。と反省はするんですがねえ。  


Posted by massan&junjun at 12:37Comments(0)