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2009年12月15日

ちょっとあべちゃんとモックンの秋山兄弟の話から




じゅんじゅんです

君の話はちょっとが長すぎるとお怒りの皆さま、御機嫌よう。

今日も長くなりそうです。

あべちゃんとモックンの秋山兄弟の話を先日いたしましたが、「ちゃんと

兄弟に見える!」という私の感慨は、数年前の記者会見の違和感に発端が

ありまして。「え~阿部寛(ほ~らちゃんとフルネーム知ってる)とモックン

(元木雅弘、あ、知ってた。ちゃんと送り人も見たわよ。山崎努様が相変

わらず素敵だったわ)が兄弟?身長が違いすいるじゃん?!史実もそう?」

「しらん!」(相手にするといい加減耳と頭が疲れるので、自分が良く知っ

てること以外は、いきなり80翁になってこの調子のまっさんです)

実際の画面で明治の質素な生活でほとんど座ってるかかがんでるか馬に乗っ

てる兄さん阿部寛。ほとんど走ってるか、歩いてる時は子規役の東大出香川

照之が横にいるか、兄さんの前ではほとんど正座(ときどき板間どころか

地面に!!)のモックン。やっぱ苦労してない?NHK.

もっとも、この兄弟の上下関係をその身長差で形而上下はわからないが

(解らないなら書くな、学問が浅いどころかこの分野は全くないんだから)

表すというには、いい思い付きだ。そして美男同士は似るものだという真理

も手伝って、本当に兄弟に見える。

親御さんはお喜びでしょうと閉めたいが、実はこの兄さんは三男で弟は五男。

生まれた時から「坊主」として寺にやられる手はずだった「弟」を自分が

稼ぐようになるからと、助けたという逸話が示す通り、次男と四男は養子に

出されている。(親父さん、選んだのかも。)

とにかくこの時代、士官学校に師範学校に大学予備門と、気力・体力・知力

・胆力・(資力)がなければどこも卒業できないとこばかり。

東大文学部などは卒業生がふたりしかいないので、式を待たず一足先に故郷

に帰る方が、もうひとりに、「キミ ニバンニテ ソツギョウス」と電報を

打ってくれるように頼んだという逸話があるような時代だったのだ。

京都では今でも京大の学生だけを「学生さん」というそうな。

官僚が「君は第何期卒業かね」と聞くようなものだ。知らないけど。

官僚の世界が京都の街より狭いという感じには聞こえますわな。

とにかく、自主自立の精神の権化秋山兄弟は、「このままでは二流の学者に

なる」という弟の危機感を受け入れて、弟は海軍兵学校へ転身するのね。

でも大学予備門時代すでに、「山を当てる天才」で、「問題を作る方の気持ち

になって考えればある程度分かる。あとはカンだ。」と言って、「戦略家じゃ

のう!」と言われている場面もあった。

そういうところが「二流の学問・二流の根気、器用なところがある」という

卑下につながるところが、やっぱり秋山兄弟・弟、只者ではない。

陸軍も海軍も、基本、衣食学がただ。好古が旗本屋敷の馬てい小屋みたいな

ところに下宿してるのはなぜ?寮費をけちったとか?

給料が出るし馬は学校から支給だけど、弟の学費のためにぼろ小屋にいたの

かな?そうでもないみたい。なにせ弟が来ても茶碗が一つなのだ。

阿部ちゃん好古は酒しか飲んでないが?身辺は簡略、単純明快にしておくこ

と。でもテレビのあべちゃんは、松たか子扮する元旗本のお姫様(おひい

さまと読んでね)に「狆も馬でお帰りか?!」とちょっかい出すことも

忘れてない。ちょっと業平と高子姫を思い出したが、好古とタミの年齢差っ

てどのくらい?

「も」ってところが深いな、と。「元旗本のお姫様」と「騎馬士官」の自分

は対等か、少なくとも劣っていないという、強烈な自負心を持っているぞ。

「男って結局お嬢様がすきなのよね」「バブル期に逆玉が顕著になっただけ

で、昔から血統は娘で、優秀な遺伝子は婿からって言う思想はあったのよ」

「バブル期は才覚でいくらでも稼げたから、後ないものは結局身分と教養

なのよ」「だから東京家つき娘か」(賢明な読者諸君はもうおわかりですね。

ここのところ、じゅんじゅん、心の会話)

明治期はいわば立身出世バブル期ですから、出世した好古とタミの間には

縁談が持ち上がります。第2話で好古はいやいや元藩主の殿様のお伴で

仏蘭西陸軍に留学しますが、たちまち官費留学に切りかわり、エリートとし

て帰国しますから(留学前からエリートだけど)、殿様のお伴をしてくれと

頭を下げた元藩主の家令(宝田明だし)あたりの斡旋かも。

ところでこのお殿様、どうしてフランス陸軍になんか留学するの?

まっさんに聞いたら、「何を解りきったことを聞く。そこしか受からなかった

んだろうよ。」と簡潔なお答えでした。

でも、このあんまり出来が良くない?殿様。好古には運をもたらしてくれた

んじゃない?エリートの一人から、唯一フランス式馬術を身に付けたエリー

ト中のエリートになれたんだもの。

好古は美男で、だけど「そんなことが何の役に立つか」という態度は生涯

変わらなかったそうだ。く~!だれが演じられますこういう役、あべちゃん

以外に。NHKはつかこうへい氏にお歳暮送っておきなさいね。

でもNHKもわかってる。三男信三郎(好古。お武家さまだから、お徒歩組

でも幼名と元服名、ふたつ名前なのね。)役の子役、美少女的美少年を配役

していたわ。

可愛い顔と可愛い声で、両手をこう、お豆腐を持つ形にして、「いまに豆腐

ほどの金を作ります」と言われたら、ただでさえかわいい赤ん坊、坊主に

出す気も失せますわな。生まれたそうそう寺にやらなくても、もうちょっと

様子を見て、出来の悪いのから養子に出しても遅くはない、とあの親父さん

なら考えるかも。

母の兄弟では母のすぐ下の弟が四男で、特別出来がいいというので養子の

口がかかったそうだが、祖父は、「子供が何人いても養子にやるべきでは

ない」という信念の持ち主だった。そのおかげで?母の長兄は「こどもは4人

まで」と力説してくれたものだが。(おじさん心配しなくても3人すら産む

気ない)と思って聞いていたが。

森鴎外も産児制限したという話、前にもしましたね。

なぜここで森鴎外かと言うと。鴎外は軍医総監になったが、好古は教育総監

にまでなった人物と言うことで、鴎外並みの偉人だということを言いたいの。

第2話では、子規の妹、律の嫁入りと離縁の話も挿入されていた。

今なら似あいの年頃の律と淳五郎真之だが、当時はとうがたった娘と、

大学予備門生。縁談になりません。

明治期には、同級生婚なんてないのね。エリートには。

まして×一だし、このあと真之と結婚すればいいじゃん、という現代の考え

も通用しない。

20だろうと25だろうと、未婚なら一生不犯、後家なら一生後家、離縁に

なった娘(出戻りと言うのね)は一生部屋住み以下の家長の扶養家族ね。

「野菊の墓」は一つ年上の従姉と言う理由で引き離されたということになっ

ているけど、もともと同じ年ごろの娘を嫁に貰うという思想がないのね。

男性が学校へ行った場合、その学問してる間、婚約はできるけど、結婚は

出来ないのね。だから当然5年学問するなら5つ以上8年学問するなら10

くらいは年下の娘でないと。

農家の分家っていう問題もあったしね。野菊の墓は。

学問を途中でやめて従姉と結婚するっていうことは分家するっていうことだ

けど、中学や一高や帝大を出れば、国家から給料が出るような仕事につける

から、分家の必要もない。

兄嫁さんとしては、学校出てもらう方がいいわよね。

働いた分、自分の子供のものにすべてなるか、義理の弟に取られるかの

瀬戸際だもの。だから母親も、息子も姪もかわいくても、結婚させなかった。

律の縁も「従兄」ということだった。こちらは夫とは別居して、夫の両親と

住み世話をする。というものだった。まっさんは「家の財産を守るための

結婚だよ」と言っていた。

漱石の「こころ」でも、東京で学問をしてる間に実家の農家が叔父の差配に

なってしまい、叔父の娘と結婚させられそうになっている話があったと思う。

貧しければ貧しいなりに、学費に困らなければ困らないなりに、やはりいろ

いろと苦悩はあったのである。







  


Posted by massan&junjun at 11:33Comments(0)