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2009年11月02日

良子女王


じゅんじゅんです

良子とかいてながこと読む。香淳皇后のお名前である。

昭和天皇は、「良宮(ながみや)」とお呼びになっていた。

皇后からは「お上(おかみ)」とお呼び申し上げておられた。

良子女王の新婚時代の洋装写真を見ていた女子高生達が「うわあ。お姫様

みたい」と言っていた。「お姫様なんだよ」と後ろからけりを入れてやりたい

のをぐっとこらえました。

梨本の宮伊都子の日記で、「朝から御成婚の話で持ち切り。もう日本も駄目だ

と考えた。」という一節があるが、気持ちがわかるような気がする。

時の天皇の皇后は、女王(宮家の姫君)であるのに、皇太子が「粉屋の娘」と

称された商人の娘なのだ。企業とかお嬢様とか言う概念なんかなかったのだ。

皇太子妃は長らく、五摂家の娘でなければならなかった。

そのため世継ぎに恵まれぬを防ぐため、あまたの側室が迎えられた。

その側室すら、公家の娘だったのだ。

良子女王を見染めたのは、昭和天皇の母、貞明皇后であったといわれている。

良子女王がはかま姿で、学級の先頭に立って体操をしている写真があるが、

心身壮健にして清らか。性格温順にして聡明。それでいてすらりとして優美。
おすべらかしでも、王冠でも、どちらも似合う、まさに姫の中の姫。

これを四人兄弟の長男である皇太子裕仁の妃にしなくてなんとする。

上、整えば、下、おのずから従う。

宮家から皇太子妃を、会津から秩父宮妃を、徳川から高松宮妃を、そして最後

に子爵高木家から三笠宮妃を。

別名、後宮の公武合体と言う。貞明皇后の政治力だと評する人が多い。

良子女王がながらく女御子の出産しかなかった時、周りが昭和天皇に側室を

すすめたのは有名な話である。

候補者の写真を見た天皇は、「みな、良いお嫁さんになりそうだ。」といって、

側室に迎えるのを断った。

良子女王を愛していたからだといわれている。

また、大正天皇の生母、柳原愛子が明治天皇の側室にされた時、愛子の父親が

明治天皇を「あの盗人めが」と激怒したという話も残っていたし、大正天皇は

自身の病弱と、皇后がひとりで4皇子を挙げていたため側室がなく、さらに

海外の王室でも、側室が認められている国が顕著に少なくなってきていたことも

あったろう。先進国の一員となるため、側室なんかを置いている場合では

なかったということもまた、事実であろう。

昭和天皇は、自身に男御子が出来なくても、弟たちがいる、と言ったという。

良子女王は、その言葉に甘えて、自身の健康を損ねる恐れのある出産をやめた

であろうか。いいや、止めなかった。一女の早世はあったものの、二皇子を

ふくめ7人の子を産んだ。

良子女王の子供の頃のエピソード。お屋敷の前の坂を上ってくる荷車引きの

馬が、いつもひいひい疲れた様子であったため、女王はご下問になった。

「あの馬は、なぜ苦しそうなのだ。だれも水をやらないのか。」

幼女の心配を慮って、屋敷では、常に門前に水をたたえた桶が用意されたと

いう。

良子女王は「皇太子ご成婚」の時、入江すけまさの日記では、「自分の婚儀で

は4頭立ての馬車であったのに、今回は6頭立てとはけしからんと、

秩父宮妃と高松宮妃に御訴えになったよし」と書かれている。

また美智子妃が「自分が民間の出である以外に、気に入らぬところがあるのか」

皇后さまの件で入江氏に訴えている。

香淳皇后は貞明皇后の前に出るときは「貞明さま好み」といわれるはかま姿

であったそうだ。「民間出である以外に、気に入らぬところがあるのか」と

いう言いかたを美智子妃がされたのかどうか。ただ入江すけまさには、その

ように聞こえたのだ。あまりしおらしい態度とは言えまい。

やっぱり聖心女子大学のプレジデントであっただけあって、ある程度、押しが

強い。

香淳皇后は厳しい姑と、「25歳の優等生」と言われた皇太子妃の間でプレス

されていて、自身の存在や考えや功績が正当に評価されたとは言えない。

有名な乳人制度廃止も、香淳皇后が自らお子達に乳を与えた下地があって

今の天皇の決断があったのだ。

秋篠宮妃がローブデコルテ姿であーやの前髪を直している有名な写真があって、

あまりになれなれしいとかなんとか評判が立ち、一部掲載差し止めなどに

なった。ところがスーツ姿の昭和天皇の前髪を良子女王が直している写真が

発掘され、「愛」のしるしとして、紀子妃の写真も再び掲載されるように

なったのだ。

昭和天皇の声は、若いころの外遊時をピークとして、甲高いものだった。

香淳皇后の肉声と言えば、アメリカ旅行の記者会見での、あまりに普通の

おばちゃん然とした声や口調が耳に残る。

「わたしはどっちでも。。。」

ひとに自分の声がどう聞こえるかなどという思想とは無縁の、やはりひい様

の声だった。

それにしても、実母に、なんというきれいな字の諡号をつけるのだろう。

今の陛下にとって、やはり母上は、慕わしい人であったのであろう。


  


Posted by massan&junjun at 22:03Comments(0)